◇ 越後上杉氏系図
◇山本寺上杉氏系図
系図が複雑で全く頭に入ってこない方が多いと思います。完全に趣味の記事ですので間違ってここに来た皆さんはスルー推奨です(笑)。
さて、本題ですが関東管領として南北朝~戦国時代関東に君臨した山内上杉家。その最後の当主上杉憲政は北条氏康によって本国上野から叩き出され越後に亡命します。長尾景虎を養子とし関東管領職と山内上杉家督を譲りました。そして時が流れ、景虎は上杉謙信となり謙信の死後御館の乱に巻き込まれ憲政は殺されます。
憲政の死で山内上杉家は断絶したと言われますが、調べてみると憲政には越後亡命後に生まれた憲重、憲景という子がいたようです。その前に憲政嫡子の龍若丸は上野御嶽城にいたそうですが重臣の妻鹿田新助(龍若丸の乳母の夫)が裏切り北条氏に引き渡します。小田原あるいは伊豆で処刑されたそうです。享年11歳。
それ以外に上野時代憲藤という子供もいました。こっちは記録が見つからないのでどうなったか分かりません。幼名じゃないんで元服はしたようですが、同じく北条氏に殺された可能性が高いですね。消息についてご存じの方ご一報をお願いします。
さて憲政越後時代の子供憲重ですが、御館の乱では父と共に景虎方に付き父憲政と共に殺されたようです。もう一人の兄弟憲景も同じ運命か?憲重の子憲国、憲武は助命されたみたいです。ただどこかで断絶したようで山内上杉氏嫡流は残らなかったのでしょう。これももしご存じの方はご一報よろしくお願いします。生き残っていたらさすがに上杉家臣団に載ってるはずなんですよね。
という事で、山内上杉氏直接の子孫探しは諦め同族越後上杉氏に望みを託しましょう。こちらも嫡流房能は謙信の父為景に殺されて断絶。上条上杉家から養子に入った定実は男子なくこれも断絶。越後上杉嫡流に一番近い一族は関東管領上杉清方(憲実弟)から始まる上条上杉家。ところがこれも上条政繁の時代に能登畠山氏から義春を養子にして後を継がせてますから血統としては断絶。