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春秋戦国史Ⅳ  晋の文公(前編)

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 晋という国が周王朝2代成王の弟唐叔虞から始まった事は以前書きました。晋11代文侯(姫仇)の弟に成師という者がいました。文侯の子12代昭侯が立つと成師は曲沃に封じられ桓叔と号します。当時の晋の首都は翼でしたが、曲沃は肥沃な土地にあり豊かな領地でした。桓叔は善政を布いたため首都翼よりも発展していきます。晋の人たちは分家が本家を凌ぐことは世の乱れの元だと危ぶみますが、間もなくその危惧は現実のものとなりました。

 さすがに桓叔の時代は何も起こりませんでしたが、2代荘伯の時代には晋室との対立が決定的になり戦争状態に陥ります。そして3代姫称が曲沃の主となると晋公室15代哀侯を弑殺、後を継いだ小子侯(幼くして死んだので諡号なし)までも殺しました。さすがにこの暴挙は周の桓王の怒りを買い討伐を受けます。称は敗北して曲沃に逃げ帰りました。周王室の後押しで晋の人たちは哀侯の弟湣(びん)侯を立てます。称は執念深く晋を攻撃し続けついにBC677年湣侯を攻めこれを滅ぼしました。

 前回の周王室の介入に懲りた称は今回は王室の要路を賄賂で買収するなど用意周到な準備をしていました。また晋の王宮から接収した宝物を16代釐(き)王にすべて献上するなどご機嫌をとり晋の正式な君主に認められ諸侯の列に加えられました。称は即位し18代武公となります。おそらくこの頃公爵の位を得たのでしょう。武公は翼を絳(こう)と改称しました。武公の後は子の献公(在位BC676年~BC651年)が継ぎます。

 献公には3人の成人した子供がいました。太子の申生、公子重耳(ちょうじ)、公子夷吾です。ある時献公は異民族の驪戎(りじゅう)を討ち、降伏のしるしとして美女驪姫(りき)を得ました。ここで言う姫とは高貴な女性という意味ではなく姫姓の女性という意味です。支那では同族婚をタブーとしてますから姫というのは本来おかしい(晋室も姫姓)のですが、この場合は遠い血族関係があっても異民族だから許されるとしたのでしょうか?

 献公は、この驪姫を溺愛します。彼女は公子奚斉(けいせい)を生みました。彼女はとんでもない悪女で、自分の息子を晋公にすべく悪辣な策謀を巡らせます。まず献公に説き太子の申生を曲沃の守備を任せるとの名目で追い出し、公子重耳も蒲に、公子夷吾は屈へ遠ざけました。この動きを憂いた宰相里克は献公に諫言します。

 「太子申生さまは孝心篤く、臣下の者も次の晋公にふさわしい方だと思っています。なのに公は太子を遠ざけ驪姫殿の生んだ奚斉さまを太子に据えようとしておられます。どうかお考え直しいただけませんか?」
 それに対し驪姫に溺れる献公は「公室の後継者問題に一臣下が口を挟むのは無礼である」と立腹し取り付く島もありませんでした。これ以上言うと自分の命の危険もあると考えた里克は黙って退出します。そのまま太子申生に会いました。

 申生は「私は父に殺されるのであろうか?」と不安を示します。里克はこれに対し「今はひたすらお耐えください。父君の命に従い身を収めていれば難を免れる事が出来るでしょう」と答えるのみでした。ところが驪姫の陰謀は着々と進行していました。献公が驪姫に「奚斉を太子にしようか?」と問うと決まって申生を褒め「国民は申生様を慕っております。身分賤しき私の生んだ奚斉が太子になったら国民はどう思うでしょうか?そのような恐ろしい考えはお捨て下さい。どうしてもというなら奚斉と共に私も自害します」と泣いて訴えました。

 ある時、申生は献公の正室ですでに亡くなっていた母斉姜を曲沃の廟で祭っていましたがその供物を父献公の元にも届けさせます。驪姫は秘かにその中に毒を盛りました。そうしておいて、
 「太子からの酒肉は何分にも遠くから贈られたものです。お試しになったほうがよろしいでしょう」と助言します。驪姫は供物の一部をそばにいた犬に投げ与えました。犬はすぐ泡を吐いて死にます。
 「太子様はなんという方でしょう?実の父君を殺してまで即位なさろうとするとは!」と驪姫が泣き叫んだため、怒った献公は申生に詰問の使者を送りました。

 こうなると冤罪であっても申し開きなど通用しません。申生は曲沃に逃げ帰りました。怒りの収まらない献公は太子の守役杜原款を誅殺します。太子の側近は「このままでは謀叛人の汚名を受け討伐されてしまいます。どうぞ他国に出奔なさってください」と懇願しますが、申生は「この悪名を受けて亡命しても誰が受け入れてくれようか?」と絶望しついに自害してしまいました。

 最大の邪魔者を排除した驪姫は「公子重耳と公子夷吾も兄と共謀して謀叛を企んだ形跡があります。どうか彼らにも詰問の使者をお出しください」と献公に訴えます。疑心暗鬼に駆られた献公はこれを信じ二人を召喚しようとしました。恐れた二人の公子はそれぞれ首都を脱し本拠地に立て籠もります。

 献公はついにニ公子を討つべく軍を発しました。重耳は一時自害も考えますが考え直し、異民族の狄の地に亡命します。夷吾は、領地の屈に籠城しますが敗北して梁(山西省)に出奔し、隣国秦を頼りました。こうしてやすやすとライバルを倒した驪姫は、息子奚斉を太子に立てる事に成功します。BC651年悪女に誑かされた暗愚な献公は病死しました。

 脱出した重耳と夷吾はどうなるのでしょうか?そして悪女によって国を乱された晋の運命は?後編では驪姫の乱の顛末と文公の即位を描きます。