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イラン・イラク戦争の両軍兵力

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 むかし、イラン・イラク戦争の記事を書こうと調べた事がるんですが、あまりに面白くない話だったので断念したことがあります。平和団体の方からみると不謹慎の誹りは免れないでしょうが、一戦記ファンから言わせていただくと一度も劇的展開のないイラン・イラク戦争は面白みを感じないのです。この辺りが中東戦争朝鮮戦争ベトナム戦争フォークランド紛争湾岸戦争などとの違いでしょうね。

 イラン・イラク戦争イラン革命で混乱したイランに対し、イラクサダム・フセイン大統領が1980年9月22日に奇襲攻撃して始めた戦争です。ただし散発的なミサイル攻撃以外は全くと言ってよいほど両国の首都は戦場にならず、戦線も国境線近くをうろうろするばかりで膠着、泥沼化し1988年8月20日国連の停戦勧告を受けてようやく終結します。

 人口で三倍近い大国イランになぜサダム・フセインが戦争を仕掛けたかですが、両国の戦力を見ると納得できますね。海軍こそイランが圧倒的ですが陸軍空軍はほぼ互角。しかもイラン革命で多くの優秀な将校(王政支持派が多かった)を粛清した当時のイランなら、勝ち目があると踏んだのでしょう。

 国際的にも、革命後のイランはパフラヴィー国王が親米派だっただけに反米に転じ、当時はソ連とも対立していたので孤立無援でした。一方、イラクソ連と蜜月でアメリカからも黙認されているとの確信を持っていたそうです。スンニ派の多いイスラム諸国も革命の波及を恐れイラクを支持し資金援助したそうですからフセインは勝算があったと思います。

 しかく国際情勢は複雑怪奇。イラクと対立するイスラエルが「敵の敵は味方」とばかりに秘かに革命イランを援助します。アメリカ製兵器の多いイラン軍に対し、イスラエルが迂回して部品を調達しイランに供与していたそうです。さらにイラクフセイン政権と対立するシリアのアサド大統領(現職の父)とリビアカダフィ元首もイランを援助しましたから、対立するイスラエルとシリア・リビアが対イラクで共闘するという複雑怪奇な現象が起きました。

 王政時代のイランなら、イラクは勝ち目なかったと思います。当時世界最新鋭のグラマンF-14トムキャットを80機も保有し、革命が起きなかったらこれもタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦が登場するまでは最新鋭・最優秀のミサイル駆逐艦だったキッド級アメリカから購入寸前でしたから。

 緒戦は革命で混乱するイラン軍をイラク軍が押しまくりますが、イランは大国であるだけに大きな犠牲を払いながらも次第に盛り返し戦線は膠着します。イランは革命に熱狂するイスラム革命防衛隊を捨て石にするという非情な采配もしながら戦争を継続しました。ただしこの戦争で発言権を増したイスラム革命防衛隊は正規軍に匹敵する35万もの大部隊に成長しおそらく将来の禍根となることは確実でしょう。国防軍武装親衛隊が対立したナチスドイツ以上の結果になると思います。陸軍のほかになんと空軍(Su-25×10機以上、J-7[MiG-21のコピー]若干数)と海軍(フリゲート×3、コルベット×2ほか)もあります。


 結局、イラクは戦争を通じて中東諸国の資金援助で肥え太り世界有数の大軍事力を持つに至ります。特に陸軍の規模は当時世界第3位!サダム・フセインの肥大化した野望が湾岸戦争につながったかと思うと暗澹たる気分になります。