歴史地理的にロシアを私なりに規定すれば、ウラル山脈の西から白ロシア(ベラルーシ)まで。北は白海から南は黒海・カスピ海まで。ちょうどそれは東スラブ族(ロシア人・白ロシア人・ウクライナ人)の住地と合致します。スラブ民族というのは、印欧語族スラブ語派に属する民族集団です。コーカソイドで、おそらくインドヨーロッパ語族の民族大移動の途中ゲルマン民族と分かれて発展した民族だろうと言われています。その民族発祥地も諸説ありますが、私はカルパチア山脈(スロバキア・ポーランド・ウクライナ・ルーマニアにまたがりちょうどハンガリー盆地を半月形に囲むように広がる山脈)北麓説を取ります。
スラブ民族はここから拡大し、ポーランド・チェコ・スロバキア人は西スラブ族として、ロシア・白ロシア・ウクライナは東スラブ族として、セルビア・クロアチアなど旧ユーゴ諸国は南(ユーゴ)スラブ族として発展していきました。
最初遊牧民族だったスラブ族は、ドナウ沿岸やウクライナの豊かな平原に定着し農耕生活を始めます。その時期はアーリア人の民族移動が始まった前20世紀ころから紀元前後にかけてゆっくりとしたものではなかったかと私は考えています。ところで世界史に詳しい方ならご存知ですがウクライナ平原は古代スキタイ民族を始めとして多くの遊牧民族の通り道になりました。
これらの民族はコーカソイドもいればアジア系もおり、スラブ民族との関係が気になります。おそらく遊牧民たちは少数で、多数のスラブ民族を支配下に組み込んだのだと思います。そのために混血が進み現在でもロシア人に中には他のコーカソイドと違いアジア系に近い顔立ちが見かけられるのでしょう。
ちなみに、ロシアの森林地帯やウクライナの平原地帯を通って東ヨーロッパに建国した民族にはマジャール人(ハンガリーを建国)やブルガール人(ブルガリアを建国)、フィン人(フィンランドを建国)などがあります。ロシア民族が、このような遊牧民族の支配からようやく脱したのは紀元後8世紀ごろでした。なお黒海沿岸のウクライナ南部ステップ地帯は、さらに後まで遊牧民族の支配下にありました。
しかし、ロシアの地に文明をもたらしたのは外からの力です。バルト海を通って北から侵入してきたノルマン人の一派ヴァリャーグ人でした。ヴァリャーグ人は現在のスウェーデンあたりにいた民族だと言われています。ロシアでは15世紀ごろまでスウェーデン人をヴァリャーグ人と呼んでいましたから、少なくともロシア人は同じ民族だと認識していたようです。
次回は、ロシアにおけるヴァリャーグ国家の成立を描きます。