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書評 『日本史の謎は地政学で解ける』(兵頭二十八著 祥伝社黄金文庫)

 これも最近買った兵頭二十八本3冊のうちの一つです。文庫本で正味200ページ程度なんですが読書量が落ちていて読了に3日くらいかかりました。若いころなら2~3時間で読めたんですがね。

 それはともかく相変わらずの兵頭節、気軽に読めました。内容についてはなるほどと目から鱗の面もあれば、そこはちょっと違うなと感じるところもありました。本の内容をすべて信じ込んでしまうような素直な人は読んだら危険かもしれません。自分に確固たる信念があり独自の軍事知識、地政学知識がある方には有用です。

 最初に突っ込みどころから。江戸時代東北地方の藩で飢饉の際餓死者が続出したのは米に頼りすぎていたからという兵頭さんの主張は納得でした。兵頭さんは、なぜ寒冷地でも育つジャガイモやサツマイモを栽培しないのかと指摘していましたが、そこはちょっと違うと思います。

 藩は武士である藩士を養うために存在します。藩士の給料は米です。藩内の領民から米を年貢として徴収し、それを大阪商人なり江戸商人に売却して現金を得て俸禄を払うのです。米は食料であるとともに貨幣の代わりでもありました。それは長期保存ができるからです。一方ジャガイモやサツマイモは水分が多いので長期保存ができません。すぐ腐ります。という事で貨幣の代替はできません。大阪商人もジャガイモやサツマイモは買いたくないでしょう。

 幕藩体制を維持している以上、藩が米作り以外を推奨するはずがありません。直接税収が減りますから。一方、搾取される側の農民も自発的にジャガイモやサツマイモを作り飢饉に備えればよいのですが、四公六民なら善政、五公五民で普通、六公四民以上なら一揆が起こるというほど追い詰められた生活では米以外を栽培する余裕はなかったかもしれません。

 特に南部藩など表高(幕府に申告した正式な石高。これで兵役や大名の格式、参勤交代や公事の負担が決まる)と内高(実際の石高)がほぼ同じ藩ではまず余裕がありません。津軽藩のように表高より内高が5倍もあるような藩なら話は別ですが。その津軽藩ですら寒冷地で稲作の収穫高も気候に左右され不安定なので農民に余裕はなかったかもしれません。

 薩摩藩などはサツマイモを栽培し、農民は米を年貢として納めサツマイモを常食していたそうですが、あれは温暖だからできること。寒冷地ではそんな余裕はなかったと思います。

 突っ込みどころは色々あるんですが、参考になった部分ももちろんありました。特に古代の大和盆地が稲作の適地だったというのは勉強になりました。鉄製農機具が普及する前は大阪平野のような低湿地での稲作は困難だったそうです。そういえば越後国も米どころになったのは灌漑が進んだ江戸期以降でしたからね。

 大和盆地は緩傾斜を利用した重力灌漑を利用して稲作ができたそうです。シナ大陸の長江流域から華南にかけての初期稲作も重力灌漑でしたからね。あと稲作がシナ江南地方から海路日本に伝わったのは海流の関係からも説明できるという兵頭さんの主張も我が意を得たりでした。

 日露戦争時、どうして各師団が下関港からでなく広島宇品港から出港したかも、日本は敵が関門海峡を直接攻撃する危険性を恐れ、ちょっと引っ込んだ宇品港を出撃港にしたというのは納得できました。九州の師団は門司港から出港しましたが、万が一門司港を攻撃されても長崎港とか博多港とか代替手段があるから大丈夫だったそうです。

 あと日本は低速の輸送船しか保有していなかったことも弱点だったそうですね。これは海運国じゃないと揃えられないので仕方なかったのでしょう。

 なかなか参考になった良書だと思います。古い本なので古本屋でしか見つからないと思いますが、興味ある方は一読をお勧めします。