これは参謀本部が編纂した『朝鮮の役』に載っていたデータですが、参謀本部が同書で指摘していた通り正確なものではありません。というのも日本軍は短期間占領していただけで本格的検地などされなかったからです。朝鮮半島のように農業生産力の低い土地は石高=人口ですから、この数値通りなら当時1200万人以上いたという事ですが、とても信じられません。というのも1600年ころの日本の推定人口が2200万人くらいでしたから。
実数はその半分くらいだと見たほうが良いでしょう。だいたい600万人くらいが当時の李氏朝鮮の人口だったと思います。多くても800万人は超えないくらい。ただ確実に言えることは、朝鮮八道のうち南部の慶尚道、全羅道だけで全体の44%くらいの石高、つまり人口があったという事です。首都を含む京畿道が低いのは意外でした。一番北東部にあり寒冷な咸鏡道も意外に石高が多いんですが、これはちょっと信用できません。咸鏡道まで進軍した加藤清正が自分の功績を誇るために過大に報告した可能性は高いですね。平安道(半島北西部)は小西行長の担当なので、こっちも過大報告の可能性があります。
やはり稲作は寒冷地には向かない、ということは朝鮮半島から稲作がもたらされたという説も嘘だったと間接的に証明されたわけです。過去記事でも書きましたがシナの研究機関が調査した米の品種特性遺伝子も原産地のシナ江南地方と日本だけにあって朝鮮半島にないものがあるそうですから、これを見ても稲作はシナ江南地方→日本→朝鮮半島と伝播したと考えるのが自然です。
皆さんは朝鮮半島に関わる物に興味ないでしょうが、面白いデータだったので紹介してみました。