鳳山雑記帳はてなブログ

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二十八糎榴弾砲(にじゅうはっさんちりゅうだんほう)

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 日露戦争を描いた映画やドラマで見た事のある方もいるかもしれませんが二十八糎榴弾砲です。二十八榴とも略称される同砲は旅順要塞攻略に決定的役割を果たし、奉天会戦にも参加しました。
 
 近年、一部の軍事史家(別宮暖朗氏など)の間で二十八榴の活躍を過小評価する向きもありますが、私の個人的見解としては弾頭重量200kg以上、頭上から降り注ぐというほぼ臼砲に近い弾道を描く同砲は旅順要塞攻略に大きな役割を果たしたと思います。
 
 ところで、もともと二十八榴は海岸要塞砲として採用されたのですが、私は常々疑問に思っていました。というのも海岸要塞砲は敵艦船と撃ち合うため低い弾道を描き直接射撃もできるカノン砲でなければならないと思っていたからです。明治25年、同胞を採用する時も陸軍首脳の間で要塞砲をカノン砲にするか榴弾砲にするかで激論が交わされたとされます。
 
 ところが、二十八榴は鋳造でできることから国産化が容易で時の陸軍大臣大山巌が採用を決定したのだそうです。他の重砲は鍛造したり遠心鋳造したりと所謂単肉自緊砲身の複雑な工程が必要。大山は、欧州列強の戦備を視察し兵器は国産化しなければならないという強固な信念を持っていたのだそうです。またカノン砲でなければ撃破できない重装甲の戦艦は航続距離が短く日本近海には来襲が困難だという読みもありました。
 
 近代要塞は、砲台もトーチカも分厚いべトン(コンクリート)で覆われているため歩兵の強襲だけでは攻略が困難なのです。どうしても歩兵の浸透突撃の前に、少なくとも進路上と進路を扼する位置にある砲台とトーチカを重砲で事前に制圧しなければなりません。実際、第2次大戦時世界最高の要塞と称されたソ連セバストポリ要塞を攻略する時、ドイツ軍のマンシュタインは600㎜自走臼砲カールや列車砲まで動員して制圧砲撃を行っています。別宮氏の論は、こういう戦例を無視したもので大いなる疑問を抱かざるを得ません。(詳しくは別宮氏の本を参照)
 
 海外の資料では、二十八糎榴弾砲クルップ砲としているものもありますが、これはクルップ砲を元に製造されたイタリア式28cm榴弾砲を参考に大阪砲兵工廠が製造した純然たる国産です。こういう技術的蓄積があったからこそ後に四十六糎などの巨砲が完成したのだと思います。
 
 
 二十八榴は、移動可能な野戦重砲と違い固定砲台ですから移動にも設置にも困難を極めたと思います。これを近代日本砲兵の権威とも言える有坂成章少将(三十年式歩兵銃や三十一年式速射砲の開発で有名)はべトン製の臨時特設砲床を考案して難問を解決したそうです。そう言えば異説はありますが、旅順要塞攻撃に二十八榴使用を進言したのも有坂少将だったとか。
 
 
 明治時代、日本が世界史の舞台に颯爽と登場できたのはこういった有為の人材が多数輩出したのもあったののでしょう。