趣味全開の記事で申し訳ない(汗)。日本における旧軍火砲の権威佐山二郎さんの新刊「日本陸軍の火砲 野砲山砲」を予約注文した記念に記事を書いてしまいました(笑)。
ちなみにsというのは重、FHが榴弾砲の意味です。sだと軽みたいなイメージですが(苦笑)ドイツ語は分からん(爆)。
sFH18は、本国ドイツでは師団砲兵が保有した重榴弾砲で砲兵連隊内で1個砲兵大隊12門が定数です。ただし国民政府が輸入したのは48門のみで、到底各師団の砲兵連隊が保有できるはずもなく、そもそも国府軍の師団に専門の砲兵連隊が標準で入っていたかどうかも疑問です。
国府軍(もちろん中共軍【当時】も!)の師団編制表の資料が手元にないので断言はできませんが 断片的に資料をかき集めると大東亜戦争期の支那軍師団は、砲兵連隊でなく迫撃砲連隊が標準編制だったような気がします。
ちなみに48門導入したsFH18もクルップ社製24門、ラインメタル社製24門という不思議な輸入の仕方をしています。ドイツ本国では最終的にラインメタルの砲身+クルップの砲架という形で完成したのでどうなったのかは不明。それぞれの先行試作品を導入したのか、それとも単に資料の間違いか?
まあ駐退複座器(大砲発射後に砲身をもとの位置に戻す装置)や照準装置の違いだけで、まさか射程や砲弾が違うはずはないと思いますが(知識がないので間違ってたらゴメン)、同一メーカーの砲にしないと訓練上まずかったんじゃないかと素人考えでは思います。
sFH18が13000m(標準砲弾)、九六式は11900m。ちょっとの違いとはいえ1100mの差は大きい!敵が一方的にアウトレンジできますからね。最も命中精度は大したことなかったのでなんとか対抗できたとか。
だったらカノン砲(榴弾砲より射程が長い)を使えばいいじゃない?と思われるでしょうがその分重いんでおいそれと移動できないんですよ。平原の北支ならともかくクリークが縦横に走る中支では特に!南船北馬って言うでしょ。
支那事変ではなぜか山砲兵第27連隊(通常は独立の野戦重砲連隊が装備する)が九六式十五榴を装備していたそうですが、ラインメタルsFH18との戦闘でアウトレンジ射撃で1門が破壊されています。
ただ、高性能のsFH18も日本軍においては宝の持ち腐れで軍馬の能力不足からほとんど役に立たなかったとか。駐退複座器のオイルも違ったそうですし、砲弾も鹵獲した分だけで、わざわざこのためだけに砲弾生産はしなかったみたいです(これも知識がないので間違ってたらゴメン)。日本軍の15cm榴弾砲の砲弾は流用できないかと調べたら砲弾重量が違った(号泣)。sFH18が43.5kg、96式が36kg。
なかなか上手くいかないものですね(苦笑)。根本的には日本軍馬の馬格の小ささに帰結するんだよな(嘆)。