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大日本帝国独立重砲兵連隊装備定数

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 時間がだいぶ空きましたが、前記事『大日本帝国野砲兵連隊装備定数』の続きです。例によって軍事や戦史に興味のない方はチンプンカンプンだと思いますのでスルー推奨です。

 前記事は師団に編入されている野砲兵連隊でしたが、今回は師団ではなく軍や方面軍直轄の独立重砲兵連隊、大隊の装備定数です。ぱっと見て分かるのは、旧式の四年式十五糎榴弾砲がまだ残っていること。通常第2次大戦中の列強陸軍(と言っても米英独くらい)では15㎝榴弾砲は師団砲兵に編入され、独立砲兵には15㎝カノン砲以上、榴弾砲も173㎜~203㎜くらいが標準装備でした。

 これは15㎝以上の砲は重すぎて自動車で牽引しなければならなかったからです。ところが日本陸軍ではまだ輓馬が残っています。いかに自動車化が遅れていたかですが、これが師団砲兵にすら15㎝榴弾砲がほとんど普及できなかった理由でしょう。

 長距離砲撃できる十五糎加農砲には他に九六式十五糎加農砲があり、性能もはるかに高かった(八九式は射程18㎞、九六式は射程26㎞)にもかかわらず普及しなかったのはわずか31門しか生産されなかったからです。八九式は150門。しかも九六式は設置に時間がかかり野戦運用には不向きでした。主に要塞砲として使われます。

 理想的には、独立重砲兵連隊は八九式十五糎加農砲24門を装備定数にしてほしかったですね。沖縄戦ではあれほど活躍したんですから。