大戦前の1930年代「戦闘機より速い爆撃機があれば戦闘機は要らない」といういわゆる戦闘機無用論を唱えたイタリアのドゥーエ将軍の考え方(戦闘機無用論あるいはドゥーエ理論という)は世界を席巻していました。
ドイツ空軍もそれに倣い800kgの爆弾を搭載でき、当時の戦闘機より速い500km/hの速力が出せる爆撃機を各社に要求します。
そこで登場したのがユンカース社のJu88でした。ところが同じユンカース社のJu87スツーカ急降下爆撃機がスペイン内戦で大活躍した事もあり、空軍はユンカース社にJu88にも急降下爆撃性能を付与するように命じます。
が、素人考えでも分かる通り単発のJu87と違い大型で双発のJu88に急降下爆撃性能を求めるのには無理がありました。
ところが空軍とくにスペイン内戦で活躍したコンドル軍団のフォン・リヒトホーフェン将軍(有名なレッドバロンの従兄弟)は、熱烈な急降下爆撃信者であったことからゲーリングとの個人的なつながり(第1次大戦中同じ部隊に属した事もある)も利用してユンカース社に圧力を掛けます。これにはさすがに独裁で悪名高った航空省のミルヒ(航空省次官)でさえ批判しますが、実際に戦果をあげていたコンドル軍団からの要求であったため断りきれなかったのです。
こうしてJu87の降下角80度に対して60度という双発機としては限界に近い急降下爆撃性能をもった機体として完成します。半面、不必要な改修により機体の各所を頑丈にしなければならなくなったため肝心の速度と航続距離は落ちました。
ユンカース社の技術陣は、それでも1939年試作三号機で523km/hの速力を記録します。量産型の配備開始は1939年。紆余曲折がありながらも大量生産されたのはそれまでの主力であったハインケルHe111やドルニエDo17より100km/h以上速かったからでした。
のちにはエンジンを強力なユモ213(離昇出力1750hp×2)に換装し最高速度640km/hを誇る夜間戦闘機としても活躍します。
【性能諸元】(Ju88A‐3型)
乗員: 4 名
全長: 14.36 m
全幅: 20.08 m
全高: 5.07 m
最大離陸重量: 14000 kg
エンジン: ユンカース Jumo 211J(出力 1420hp )×2
最大速度: 510 km/h (高度5300 m )
上昇限度: 9000 m
航続距離: 2430 km
武装:
7.92mm MG 81 機関銃×4
爆弾搭載量: 3000 kg
総生産数: 14780 機(各型総計)