鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

大日本帝国陸軍 知らなくて良い知識

海南島 三亜(サンアペレ)港
 
 いきなりマニアックですが、これ開戦劈頭マレー半島攻略のために陸軍(第25軍・山下奉文軍司令官)の大輸送船団が小沢治三郎中将率いる南遣艦隊に護衛されて出港した港です。海南島って支那領のはずだと思ってたんですが、ミャオ族とかチワン族などの少数民族がすむ化外の地で内戦に明け暮れる国民政府の威令が届かないところだったみたいですね。
 
 南部仏印進駐後、日本海軍が進出し根拠地を設けていました。天然の良港らしく現在では支那海軍の根拠地になっています。しかも原潜基地という物騒なものまであります!
 
 
 
◇常備師団
 
 日本陸軍が平時でも整えている師団。ただし平時は平時編制といって戦時の半分くらいの数しかいません。有事には動員をかけて定数を満たし作戦に投入します。近衛師団と第1~第20師団がこれに当たりますが21個師団のうち13、15、17、18師団は大正時代の宇垣軍縮で削減されその後再編成されたので精鋭度は若干劣ります。
 
 という事で近衛師団と常備師団のうち上記の4師団を除いた17個師団が陸軍最精鋭の師団と言えます。
 
 
 
◇留守師団
 
 常備師団は外征するとき留守師団というものを本拠地に残します。これは留守師団長以下スタッフと最低限の人員(訓練要員ほか)から構成され、新規師団はこの留守師団を骨格として編制されます。
 
 例としてあげれば第6師団(熊本)と第23師団(熊本・6師団の留守師団を基に編成)などがこの関係に当たります。
 
 
 
近衛師団の精鋭度
 
 近衛師団は大戦末期には第1~第3近衛師団が設けられますが、実は一番の精鋭は近衛第2師団です。というのはマレー作戦以来外地に居た近衛師団が近衛第2師団と改称されたからです。内地に残った近衛混成旅団を基として第1師団が、留守近衛師団を基にして第3師団が編成されました。
 
 近衛師団は、明治維新時の御親兵が発展したもので徴兵区ではなく各地から選抜された兵士で構成された陸軍きっての精鋭部隊でした。近衛第2師団はスマトラ島に駐屯し終戦を迎えます。
 
 ちなみに宮城事件(ポツダム宣言受諾に反対する青年将校のクーデター事件)を起こしたのは近衛第1師団です。
 
 
 
◇特設(乙)師団
 
 常設(甲)師団と違い、満洲事変以後の戦時体制に対応するため創設された師団で本土と朝鮮半島満洲を含めて12個師団が新設されました。4単位(歩兵連隊が4個)編制の常備師団と違い、最初から3単位編制で構成され火力の不足分は兵器の近代化で補うという考えでした。これは師団の数を増やすための世界的潮流で日本もそれに倣ったと言えます。
 
 その内訳は宇垣軍縮で削減された13、15、17、18師団の他に101、104、106、108、109、110、114、116の各師団です。
 
 
 
◇治安師団
 
 泥沼の支那事変で戦線後方の治安維持・警備を担当する師団で常備師団・特設師団と比べると戦闘力は大きく劣ります。32、33、34、35、36、37、38、39、40、41の各師団がこれに相当します。ただし日米戦争に突入すると師団数の不足から第一線に投入せざるを得なくなり常備師団並みの装備を与えられた師団も出てきました。
 
 ただこの状態でも戦闘力は常備師団の8割程度ではなかったかと個人的には思います。
 
 
 
◇戦時中の特設師団
 
 日米戦争の勃発に伴い急に師団数を増やす必要から4単位編制の常備師団を3単位編制に改編するとき余った1個連隊を集めて編成された師団で、インパール作戦で有名な第31師団(烈兵団)もこれに当たります。
 
 大戦末期の泥縄式で編成された師団と違い実戦を経験した連隊が多く、戦闘力は常備師団の8割程度の実力はあったと考えます。
 
 
 
◇大戦末期の泥縄師団
 
 これは正式名称ではありませんが、名前の通り装備も劣悪、訓練も不十分でとても戦力になれるものではなく戦闘力は常備師団の半分もあれば良い方でした。中には砲兵連隊を持たず機動力皆無の噴進砲(ロケット)部隊しかない師団もあり、これは戦場に張り付いて全滅を待つばかりの悲惨な部隊でした。満洲に居た関東軍の末期にはこのような師団が数多くありました。
 
 本土決戦に備えて根こそぎ動員された師団もほとんどはこれで本土決戦がなくて本当に良かったと思います。大戦末期、精鋭師団はほとんど外地に出払っていたというのが実情でした。
 
 
 
◇独立混成旅団
 
 師団にするには歩兵連隊が足りない場合この独立混成旅団が編成されました。1~2個の歩兵連隊に戦車や砲兵大隊など諸兵科を合わせ師団に準ずる戦闘力を持たせた部隊で、今で言うアメリカの旅団戦闘団に当たるというのは言い過ぎですが、コンセプトは同じだったと思います。師団との大きな違いは独自の輜重部隊や後方部隊を持たないということです。
 
 
 
◇支隊
 
 よく戦記ものを読んでいると○○支隊という名称が出てきますが、実は正式名称ではありません。師団の動員や移動が間に合わない場合、あるいは師団が出るほどでもない場合は師団の一部を抽出して戦線に投入することが良くありました。当然部隊規模は様々で大隊に毛が生えた程度から旅団規模のものまであります。
 
 肝心なのは作戦が終了すると親師団に復帰するのが普通で、あくまで臨時措置だという事に気を付ける必要があります。
 
 
 
 さしあたって思いついたのはこれくらいですかね?一度自分の知識をまとめなければならないと思っていたので丁度良い機会でした(笑)。