鳳山雑記帳はてなブログ

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中世ヨーロッパⅦ  百年戦争

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 フランス初の王朝カペー朝第15代シャルル4世が1328年没すると直系の男子が絶えたためその後継王位を誰が継承するかで紛糾します。
 
 フランスでは絶えて久しい伝統でしたが、ここで古代ゲルマンの選挙王制が現れてくるのも仕方ありませんでした。フランスの有力諸侯は話し合いの末シャルルの従兄弟にあたるヴァロア伯フィリップを次のフランス国王に選出します。
 
 フィリップは国王に即位しフィリップ6世(在位1328年~1350年)となりました。ヴァロア朝の始まりです。しかしフィリップの王位継承に異を唱えた者がいます。その人物とはイギリス国王エドワード3世でした。エドワードはその母イザベラがフィリップ4世の娘であり、自分にも継承資格があると主張します。
 
 
 現代の日本人の感覚から見ると無理筋な要求のように見えますが、フィリップの即位が血統主義を考慮されたとはいえ選挙で選ばれたという事実からエドワードの主張も当時の英仏国民から見るとそれほど奇異なものには映らなかったようです。
 
 イギリス国王は、かつてノルマンディー公、アキテーヌ公、アンジュー伯などフランス国内に広大な領地を持ちフランス国王の臣下でもありましたからこういう無理筋な要求もできたのです。14世紀当時でもフランドル地方の一部と旧アキテーヌ公領のうち大西洋沿岸部のギュイエンヌ公領(ボルドー周辺)を領有していました。
 
 
 あとは実力で相手を黙らせるしかありません。エドワード3世は1337年仏国王フィリップ6世に宣戦を布告します。すなわち百年戦争の始まりです。
 
 フランス軍は最初イギリス軍に連戦連敗でした。というのも戦場がフランスである事、イギリス軍はフランス内にも領地を持っているので実質フランス人同士の戦いである事などの理由で士気が上がらなかったからです。また封建社会では国王と封建家臣たちは契約で成り立っているので、その契約以上の働きを諸侯は拒否します。これは英仏両軍とも共通でした。そこで国王は仕方なく傭兵を雇います。
 
 しかし百年戦争とは言ってもしょっちゅう戦闘しているわけではなく休戦の時期もあったわけですから、その間仕事を失った傭兵たちが各地で略奪行為を働くなど深刻な問題が発生しました。フランス国土はこのために荒廃します。傭兵の略奪で生活に困窮した農民の反乱が続発するなど戦争はますます混迷の度を深めました。
 
 イギリス軍優位のまま戦争が推移してくるとフランス諸侯のうちでもイギリス国王がフランス国王になっても良いのではないかと考える者たちが出始めます。彼らはブルゴーニュ公を中心にまとまりブルゴーニュ派と呼ばれました。
 
 一方、あくまでヴァロア家がフランスの正統な王家だとみなす者たちは中心になったアルマニャック伯の名前からアルマニャック派と呼ばれます。
 
 アルマニャック派は、イギリス軍とブルゴーニュ派の連合軍に押されフランス南部を抑えるだけの弱小勢力に落ちぶれます。このままでは滅亡は時間の問題でした。ところがヴァロア朝4代シャルル6世の王太子シャルル(のちに即位して7世となる)のもとに「フランスを救えという神の啓示を受けた」と称する一人の少女が出現しました。すなわちジャンヌ・ダルクです。
 
 
 半信半疑の王太子シャルルは、試しにジャンヌに軍を率いさせると当時連合軍に包囲されていたオルレアンを解放したではありませんか。ジャンヌはめざましい活躍で連合軍を撃破し1429年にはランスのノートルダム大聖堂においてシャルルの戴冠式を行う事が出来ました。シャルル7世(在位1422年~1461年)は名実ともにフランス国王になれたのです。
 
 
 しかしジャンヌはその後、ブルゴーニュ派に捕えられイギリス軍に引き渡されます。イギリス軍は彼女を魔女裁判にかけ1431年5月30日火刑に処しました。彼女の名誉が回復されたのは20世紀になってからです。以後彼女はフランスの救世主、聖女として現代に至ります。
 
 
 ところでジャンヌが何故勝利したかですが、私は長びく戦争の中で国民の間にフランス人意識が醸成されたのではないかと考えています。彼らから見ればイギリス軍は侵略者でありそれと結ぶブルゴーニュ派はフランスの裏切り者でした。
 
 
 ジャンヌの働きをきっかけとしてシャルル7世は反撃に移ります。1431年リールにおいてブルゴーニュ公フィリップと休戦条約を締結すると1435年には劇的な同盟を結びます。2対1の劣勢な方になったイギリス軍はますます不利になりました。
 
 1450年、フォルミニーの戦いで決定的な勝利を上げたフランス軍ノルマンディー地方を制圧、ついで1453年には南仏におけるイギリス軍の拠点ボルドーを制圧して戦争は終結しました。
 
 
 イギリス軍は大陸から完全に駆逐されフランスに対する野心を捨てました。しかし逆の見方をすればフランス国王の家臣という立場から完全に解放された事でイギリスはようやく自立できたとも言えます。
 
 
 百年戦争は、国土の荒廃を生み封建領主は没落しました。フランス国王は大きな犠牲を払ったとはいえ完全に国土を掌握し絶対王政への道を進み始めます。
 
 一方戦争の直接の被害を受けなかったイギリスですが、歴史的大敗によって王権は大きく後退し諸侯に軽んじられるようになっていきます。これが後の薔薇戦争という大災厄に繋がって行くのです。