四式戦闘機疾風は、日本機にしてはかなり頑丈な機体だったようです。一般に日本軍機は脆弱なイメージがありますがそれは零戦だけ。あれは千馬力級でぎりぎりの機体を追求したからああなっただけなんです。
日本陸軍は九七式戦闘機の時代からある程度防弾を考慮していましたが、疾風は機体設計の段階から強度を求めました。
防弾にも十分注意が払われました。米軍パイロットの証言でも疾風は日本軍機の中で一番落としにくい機体だったとされます。
疾風の防御力を表すエピソードがあります。比島戦線か支那戦線か忘れましたが、米陸軍のリパブリックP-47サンダーボルト戦闘機に追いかけられた疾風は、地上ぎりぎりまでダイブして交わそうとします。ところが降下速度の速いP-47はどこまでもついてきます。
ところがスピードを落としたために逆にP-47がつんのめって疾風の前に出ます。疾風は前に出たP-47に20㎜機銃弾を浴びせて撃墜、そのまま帰投したそうです。防御力が貧弱な零戦などでは絶対にできない芸当ですね。
前置きというか与太話が長くなったので本題に入ります(汗)。
疾風は大東亜決戦機として期待されたために増産計画が急務となっていました。そこで機体を木製化し貴重なジュラルミンを節約するというドカ貧的な発想がなされます。しかしもともと木製機として設計したのならともかく金属製の機体を木製化して成功するはずありません、重力バランスから変わってくるんですから。しかも重くなり最高速度も580km/hと大きく劣りました。一番の問題は機体の強度でたった6Gまでしか耐えられなかったそうですからどうしようもありません。
これがキ106です。疾風の木製化は航空本部だけが先走りし、メーカーからも現場からも不評だったそうです。そもそもジュラルミンは重要戦略物資として各航空機メーカーに優先的に配給されていましたからストックはかなりあったといいます。実際戦後これらのストックを使って鍋やヤカンを製造して急場を凌いだくらいですから。
次に航空本部が目をつけたのは、疾風の鋼製化でした。これがキ113です。木製化で失敗したから今度は鋼製化だったのでしょうが同じように重量が重くなりすぎて失敗。ま頑丈にはなったでしょうが(苦笑)。
最後は毛色の違った疾風の派生型を紹介しましょう。キ116です。エンジンに五式戦と同じ金星62型(ハ112‐Ⅱ)を搭載した機体でした。
またどうせ誉(ハ45)が不調だったから換装しただけだろう?と勘繰ってしまいますが違います。これは満洲飛行機の製造です。
満洲でも疾風は生産されましたが、機体はできても肝心の誉エンジンが本土から届かなかったために首なし機体が続出します。そこで同じく満洲で生産されていた金星62型エンジンを載せてみたらどうか?という苦肉の策でした。
出力は二千馬力から千五百馬力に落ちたのでスピードも落ちましたが、エンジンは抜群の信頼性があり軽くなった分機動性が上がります。おそらく飛燕→五式戦闘機のような関係になったと思いますが残念なことに試験飛行を終えて本格生産に入る前に敗戦になりました。