鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

ルーマニア革命の衝撃

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 1989年12月21日、ルーマニア大統領チャウシェスク共産党本部庁舎前広場に10万人の群衆を集め演説をしていました。
 
 その少し前、12月16日ルーマニア西部の町ティミショアラにおいてハンガリー系市民が民主化を求めてデモを起こし、それに治安部隊が発砲して無差別殺戮するという痛ましい事件が起こっていました。
 
 今回の演説でチャウシェスクがこの事に触れるかもしれないと世界中が注目し、確かリアルタイムで私も中継を見ていた記憶があります。
 
 
 ところが、演説の途中群衆の中で混乱が起こります。私はチャウシェスクの演説に怒った民衆が立ち上がったのかと思っていたんですが、後で調べてみるとティミショアラ虐殺生き残りのハンガリー系市民の若者が爆弾を爆発させ、警察が彼を射殺。群衆がパニックを起こしたものだと分かります。
 
 
 顔色が変わる独裁者。中継していたルーマニア国営放送は番組を中断。
 
 
 後に分かった事ですが、チャウシェスクは演説を中止しバルコニーを引っ込みます。そのまま集会は市民虐殺に憤った学生市民によってチャウシェスク独裁体制糾弾大会へと発展します。これが歴史に残るルーマニア革命の始まりでした。
 
 
 元々ルーマニアは第2次大戦の敗戦により王政が崩壊、ソ連の後押しによって共産党政権が誕生していました。
 
 ルーマニア共産党の指導者、ニコラエ・チャウシェスクは大統領に就任し独裁体制を敷きます。産油国でもあるルーマニアは、他の東側諸国とは違いソ連とも一線を引く独自路線を歩んでいました。
 
 しかし1980年代に入ると経済政策の失敗により国家は疲弊します。そんな中支配者であるチャウシェスクは巨大な宮殿を築くなどぜいたくの限りを尽くしていました。妻であるエレナや後継者とみなされた次男のニクらは、権力を笠に民衆を苦しめます。
 
 
 時代はポーランドを皮切りに東側諸国に民主化の波が訪れていました。ルーマニア国内でも民主化を求め各地でデモが湧きおこります。
 
 ところがチャウシェスクは民衆の声など聞く耳持たず、逆に弾圧によって黙らせようとしました。一説ではソ連軍に介入を依頼したともいわれています。さすがにこれはゴルバチョフに断られました。
 
 
 ティミショアラ虐殺事件は、多数の市民の遺体が発見された事によって世界中に報じられます。ですから12月21日の演説は世界のメディアが注目していたのです。
 
 
 
 群衆の怒りを目の当たりにしたチャウシェスクは、国防相に群衆への発砲を命令します。しかし国防相はこれを拒否。怒ったチャウシェスクは彼を処刑しました。
 
 公式発表は自殺でしたが、誰も信じませんでした。そればかりか国防相処刑の噂は軍首脳を恐慌状態に陥らせ大統領に反旗を翻すきっかけとなりました。
 
 後で考えれば国防相処刑がターニングポイントだったと思います。軍の大半が大統領から離反、広場に集まった市民と合流し革命運動を開始しました。
 
 
 しかし、チャウシェスクには彼に忠誠を誓う秘密警察がありました。数十万人規模ともいわれ軍隊よりも優遇された大統領の親衛隊とも呼ばれる部隊です。
 
 
 首都ブカレストを中心に、市民と軍から成る革命軍と秘密警察は各地で激しい銃撃戦を始めます。あくる22日になると圧倒的な国民の支持を受けた革命軍によって政府機関や国営テレビ局などが制圧されます。私も実況中継でこれを見た記憶がありますが衝撃的な光景でした。
 
 
 チャウシェスクは非常事態宣言を出して事態を収拾しようとしますが、これを断念。ヘリコプターで逃亡を図ります。しかし国営テレビは革命軍が掌握。逃亡の様子を生中継されるというお粗末さでした。
 
 首都に残った秘密警察軍は革命軍と激しい市街戦を演じます。捕まったら確実に殺されるので彼らも必死でした。独裁時代国民を弾圧した張本人だったからです。
 
 
 12月23日、さらに多くの市民が革命軍に参加、次第に秘密警察軍の抵抗は弱まります。18時、逃亡したチャウシェスク夫妻がルーマニア南部の町トゥルゴヴィシュテで逮捕されたというニュースが入りました。
 
 国民全部を敵に回した独裁者に逃れるすべはありませんでした。その後も市街戦は延々と続きます。そんな中大統領派と目される人物の逮捕、戦死の報告が次々と入りました。
 
 ニュースが入るたびに革命派は勢いづき大統領派の抵抗は弱まりました。
 
 
 12月25日、チャウシェスク夫妻は特別軍事法廷で大量虐殺・不正蓄財などの罪で死刑判決を受けます。即日刑は執行されました。裁判の模様、そして銃殺の様子まで世界中で流されまだ若かった私も強いショックを受けました。
 
 12月26日、革命軍は暫定政権を樹立、大統領夫妻の処刑を発表しました。大統領派の抵抗は次第に弱まり間もなく終息していきます。
 
 
 わずか数日の出来事、そして世界中でリアルタイムで見られた革命劇。その強烈な記憶は今でも残っています。特に処刑されたチャウシェスク夫妻の画像はトラウマでした。
 
 
 民衆の怒りはそれだけ恐ろしいという事です。私は部外者ですからルーマニア革命についての論評は避けます。しかし為政者が私利私欲に走り国民を苦しめれば最後はこうなるという教訓を与えてくれたといえるでしょう。
 
 
 民主党政権の皆さん、今日本人は竹島尖閣で特亜に怒っています。民衆の怒りが自分たちに向く前に何とかしないといけないのではありませんか?