センチュリオンはともかく、コンカラーが箸にも棒にもかからなかった(ファンの方御免なさい)ものですから、コンカラーと同じ55口径120mmライフル砲を装備しセンチュリオン並みの機動力(といってもカタログスペック的にはお世辞にも機動力が高いとは言えませんが…)を目指した、いわばセンチュリオン戦車の発展型です。
さてチーフテンですが、重量55t。世界の潮流が対戦車ミサイルの発達などで機動力を向上してそれを回避するという方針に転換した中、かたくなにそれを拒否し防御力重視を打ち出したのは一つの見識と言ってもよいでしょう。実際、チーフテンは戦後第2世代の戦車ではトップクラスの防御力を誇ります。
また西側の第2世代戦車(M60など)が戦車砲に105㎜砲を選択したのに対し、大口径化が著しいソ連戦車に対抗して一早く120㎜砲を採用したのも有効な選択でした。最も中東戦争以降の戦訓からいうとT‐72くらいまでは105㎜ライフル砲と新型砲弾(APFSDSなど)で十分だったわけですが…(苦笑)。
ただ保守的なイギリスらしく、分離弾薬方式で弾頭と装薬を分離して装填しなければならず発射速度はかなり落ちました。装填手の負担を軽減するっていうのが理由ですけど、アメリカはマッチョな戦車兵が20kg近い砲弾を「えいやっ!」って放り込んでるんだよ。甘えるな!(爆)熟練兵だと2秒でできるらしい!アメリカ恐るべし!!!
実戦ではどうだったかというと、これといって華々しいエピソードは寡聞にして知りません(苦笑)。パーレビ王朝時代イランに780両採用(78両の間違いでは?ソースに自信なし。田宮のプラモの説明書きでは90両となっていた気が?ウィキでは400両になってますね)され、革命後のイランイラク戦争では実戦参加しました。イラク軍が平地を冠水させ湿地帯にして重いチーフテンの動きを封じる戦法で苦しめたそうですが、逆にいえばそれだけチーフテンを恐れていたともいえます。
おそらく照準も東側戦車より優れていたはずで、120㎜砲の威力もあってまともに戦えばチーフテンが勝ったはずです。ただ革命後のイランでは整備もままならず修理部品も滞ったと考えられますから、その分は割引かなければいけません。
せめてイスラエル陸軍が採用してくれていればその実力が明らかになったはずですが、イスラエルはアメリカ製のM60を採用しましたからねえ。フランスのミラージュ戦闘機と一緒で仲違して(アラブ諸国に配慮して)イギリスが売らなかっただけだとは思いますが、惜しかった…。
あまり一般にはなじみの薄い戦車ですが、私はこういう味のある戦車が大好きなんでございます(笑)。
【性能諸元】