1991年1月17日、サダム・フセインのクウェート侵攻に鉄槌を下すためアメリカを中心とする多国籍軍はクウェート、イラク本土へ向けて一大空爆作戦を開始しました。所謂湾岸戦争「砂漠の嵐作戦」の始まりです。
なかでも戦略防空軍司令部などの指揮中枢、サダム・フセインの国家指導部施設、通信網の一大センターがある首都バクダッドは最重要目標でした。イラク側もそれは承知していて集められるだけの防空兵器を集結させていました。その兵力はレーダー誘導SAM(地対空ミサイル)58個射撃中隊(ミサイル552基)、対空砲1267門など恐るべきものでした。
1978年に開発がスタートした同機は、レーダー吸収材、レーダ反射断面積(RCS)を最小限にする機体形状、赤外線探知を避けるためにアフターバーナーを廃止して排気口を機体上面に設けるなど徹底した対策が取られレーダーなどで探知されにくい(決してレーダーに映らないわけではない!)機体でした。
そのRCS(レーダー反射断面積)は0.025平方メートル、ちょうど鳥くらいの大きさにしか映りません。ちなみにF‐4ファントムで6平方メートル、B-52に至っては100平方メートルにもなりました。
レーダーもその電波を敵に探知されるので廃止し、【目標の探知や捕捉等には、機体下面の前脚部にある目標指示用のレーザー目標指示装置や機首最前部にあるFLIR(前方監視赤外線装置)、機首下にある引き込み式のDLIR(下方監視赤外線装置)等を使用する】という徹底ぶりでした(ウィキペディア情報)。
F‐117はレーザー誘導爆弾による夜間精密爆撃で次々と重要目標を破壊します。一例をあげると、イラク空軍司令部への爆撃では頑強な建物である司令部の唯一の弱点(すでに調査済み)だった換気ダクトへ一発目のレーザー誘導爆弾が命中し大穴をあけ、その大穴目がけて二発目が突入、内部で爆発して破壊するという正確さだったそうです。
重厚な防空施設があったはずのバクダッドが反応したのは、空爆したF‐117が任務を終え去った後。爆撃を開始する時イラク軍のレーダーが沈黙していたのは探知できていない証拠だといえます。対空機関砲の曳光弾の光でバクダッドの上空が昼間のように明るくなった映像を見た方も多いでしょう。
湾岸戦争はハイテク戦争だったともいわれますが、ステルス機の怖ろしさをまざまざと見せつけた戦争でした。
現在、F-22戦闘機やB‐2爆撃機などのステルス機が配備され、F‐35も間もなく実戦配備(かなり計画は遅れていますが…)される中、維持費が高くなったF‐117は全機退役しています。生産数はわずか59機。1機が1999年コソボで失われたのみでした。
F-117ナイトホークは、世界初の実用ステルス機であり一時代を築いた機体であったといえるでしょう。
【性能諸元】
全長:19.4m
全幅:13.2m
全高:3.9m
最高速度:M0.85
航続距離:1,200km(空中給油可能)
エンジン:F404-GE-F1D2 ターボファン×2基
推力:4,900kg
空虚重量:13,380kg
最大離陸重量:23,625kg
ペイロード:約2t
乗員:1名
製造単価:約3,800万ドル