鳳山雑記帳はてなブログ

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「マーケット・ガーデン作戦」  - 連合軍の『遠すぎた橋』 -

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談笑する連合軍首脳。左から米第3軍司令官パットン中将、パットンの上官で第12軍集団司令官ブラッドレー中将、第21軍集団司令官英モントゴメリー大将。
 
 
 
 記念すべき3000本目の記事を何にするか迷ったんですが、私の大好きな戦史にしました。
 
 
 30年以上前でしょうか。名匠リチャード・アッテンボロー監督、主演ロバート・レッドフォードを始めジーン・ハックマン、ローレンス・オリビエ、マイケル・ケインショーン・コネリーなど趙豪華キャストで描いた「遠すぎた橋」という戦争映画がありました。
 
 ノルマンディ上陸作戦から3カ月、パットンに強いライバル心を抱いたモントゴメリーによる強引な作戦で大きな被害を出す連合軍。一将軍の功名心だけのために犠牲になった兵士のやるせなさを描いた作品でした。
 
 この映画のもとになったのがマーケット・ガーデン作戦です。
 
 
 作戦はどうして発動したのでしょうか?それには補給という深い事情がありました。ノルマンディ上陸作戦を成功させパリを開放、ドイツ国境に迫った連合軍でしたが内陸に進むにつれしだいに補給に苦しみ出すようになります。
 
 莫大な物量を誇る連合軍が補給不足だということに不思議な感覚を抱く方も多いでしょう。しかし機械化された師団は一日に300トンの物資を必要とします。アメリカ軍だけで48個師団130万の兵力の兵站線を維持するのはいかに大国アメリカといえども負担です。しかもドイツ軍もそれを見越して重要港湾都市には守備隊を残し、それらが頑強に抵抗しましたから輸送船から陸揚げするのも一苦労でした。
 
 しかも西ヨーロッパ最大の補給港であるアントワープはオランダ駐屯のドイツ軍が強力なため利用できずにいました。
 
 
 戦争の主役をアメリカ軍に持って行かれ面白くないモントゴメリーは、英軍主力の第21軍集団を使ってオランダのドイツ軍を排除、アントワープ港を使用可能とするとともに、あわよくばそこからドイツの心臓部というべきルール工業地帯に進撃し戦争の帰趨を決めてしまおうと考えます。
 
 しかし、あまりに博打にすぎるため連合軍最高司令官アイゼンハワーはこの作戦案を拒否しました。が米英の微妙な関係とモントゴメリーの強引さにアイゼンハワーはついに政治的に妥協してしまいます。
 
 
 こうしてマーケット・ガーデン作戦は実行される事となったのです。実は空挺作戦のマーケットと、それに呼応した地上軍のガーデンの二つの作戦名を合わせたものでした。
 
 まず空挺3個師団からなる降下部隊が国道69号線沿いの主要な5つの橋とアルンヘムを空から奇襲し占領する。
 
 次に、占領を確実なものにするため英第2軍の主力である第30軍団が機甲部隊を先頭にして北上、途中ドイツ軍を駆逐しつつアルンヘム占領中の空挺部隊と合流、オランダ守備のドイツ軍を包囲撃破し、あわよくばそのまま東進、ルール工業地帯に達するという野心的な作戦でした。
 
 
 これを読んだ皆さんは、一見して無理な作戦だと気付かれるでしょう。
 
 
 空挺部隊は地上の援軍が到着するまで占領地帯を死守しなければなりません。時間との勝負になります。一方守るドイツ軍は、地上軍の進撃を遅滞防御で遅らせ、その間に貧弱な装備しか持たない空挺部隊を料理すればいいのです。
 
 
 モントゴメリーが無茶とも言えるこの作戦を発案したのには、現地のドイツ軍守備隊が弱体化しているという先入観があったのだと思います。実際、正規師団はノルマンディ以来の激戦で消耗しオランダにいたのは空軍野戦師団や外人部隊、傷病から復帰した者を集めた師団など寄せ集めの部隊でした。
 
 
 しかし彼はドイツ軍を舐めていたとしか思えません。この方面を担当するドイツB軍集団司令官は東部戦線の火消し役として活躍した名将ヴァルター・モーデル元帥。現地の指揮官は空挺部隊出身のクルト・シュトゥデント上級大将でした。
 
 シュトゥデントは陸軍ではありません。空軍の将軍です。しかしイタリア戦線のケッセルリンクと同様空軍出身でありながら見事な指揮をする名将でした。
 
 
 彼は隷下の部隊を弱体化した師団中心ではなく、各地から集めてきた機甲部隊を核とするいくつかの戦闘団(カンプグルッペ)に編成し直しました。これで柔軟な運用をしようという意図です。
 
 
 マーケット・ガーデン作戦は1944年9月17日開始されます。
 
 まず空挺作戦は見事に成功しました。英軍降下部隊は次々と要所を占領します。散発的なドイツ軍の抵抗はあったもののほぼ成功と言える展開でした。
 
 一方、地上軍ですがこれも緒戦は順調に進みます。国道69号線を北上する戦車部隊は散発的な抵抗をするドイツ軍を排除しあとにつづく歩兵部隊はこの作戦の核とも言うべき橋を次々と占領しました。
 
 
 しかし、これこそ罠だったのです。快進撃を続ける機甲部隊と歩兵部隊の間隙が致命的な距離に達した時、伸びきった戦線を横撃するように東から戦車を中心とするドイツ軍の戦闘団が次々と波状攻撃をかけてきました。
 
 
 小回りのきくカンプグルッペ(戦闘団)は正面からは攻撃せず、一番脆弱な側面を攻撃しました。とくに補給部隊などは格好の攻撃目標です。
 
 それに対処するため英軍は進撃を止めて、襲撃部隊の相手をしなければならなくなります。貴重な時間はその度に費やされました。
 
 それでも強引に進んだ英軍は5つの橋のうち4つまでは達したといいます。しかしそれが限界でした。最後のアルンヘムの町を前にして進撃は停止、その間孤立した空挺部隊はドイツ軍の包囲をうけ全滅してしまいます。
 
 これ以上作戦を続けても犠牲が増えるばかりだと諦めたモントゴメリーは9月24日作戦の中止を命令。占領地の維持も難しいと判断され撤退する事に決まります。しかしここでも大きな犠牲が払われました。
 
 
 勝ち戦の中での敗北、米軍はモントゴメリーの軽率さを笑いましたが、しかしその直後米軍もアルデンヌの森で油断によって大きな犠牲を払う事になるのです。
 
 
 
 慎重居士として有名なモントゴメリーらしからぬ判断ミスでした。華々しい活躍をするパットンへの嫉妬心があったとも戦後イギリスの発言権を得るためとも言われていますが真相は分かりません。
 
 ただそのために死地に追いやられた将兵にとってはたまったものではなかったでしょう。
 
 
 
 最後に懐かしのアニメンタリー決断のOPナレーションをもじって終わりましょう。
 
「人生の最も貴重な瞬間は決断の時である。戦争はそのための多くの教訓を残している…」