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C-17が変えた空挺作戦

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 マクダネル・ダグラス(現在はボーイングに吸収合併)C-17グローブマスターⅢといえば、アメリカが誇る戦術/戦略輸送機です。最大搭載量(ペイロード)77.5トンを誇り、航続距離5190km。アメリカ陸軍の主力戦車M1A2エイブラムズ(63トン)を楽々運べ、M2/M3ブラッドレー歩兵戦闘車なら3両、ストライカー装甲車なら4両(3両という説も)搭載できます。

 だったら、ロッキードC‐5ギャラクシーの方がペイロード122トンでM1A1戦車なら2両運べるから凄いと思われる方も多いと思いますが、C-5はあくまで戦略輸送機。C-17が優れているのは、整備の整った飛行場でないと運用できないC-5と違い、不整地飛行場でも運用でき前線に部隊を展開できるところです。このC-17の登場でアメリカ軍の空挺作戦に革命が起こったそうです。

 空挺作戦(エアボーン:Airborne)と言ってもピンとこない方が多いかもしれませんが、マーケットガーデン作戦を扱った傑作戦争映画『遠すぎた橋』やノルマンディ上陸作戦を描いた『史上最大の作戦』の一シーンを思い浮かべていただければ御理解いただけると思います。輸送機から落下傘(パラシュート)降下して要地を占領する作戦です。

 空挺作戦は奇襲効果抜群で素晴らしいものですが、落下傘降下の関係上重装備を持ち込めず脆弱です。ですから空挺降下した後すぐさま地上部隊と呼応し連絡を取らなければ簡単に殲滅されます。実際、マーケットガーデン作戦では地上部隊の救援が間に合わなかったため空挺部隊に1万人以上の大損害が出ています。枢軸側でもドイツ軍によるクレタ島降下作戦が有名ですが、精鋭降下猟兵に大損害が生じ、以後大規模な空挺作戦は行われませんでした。日本軍のパレンバン降下作戦など例外的に上手く行った作戦です。

空挺作戦がもろ刃の剣である事は御理解いただけたと思います。アメリカ軍もマーケットガーデン作戦のトラウマから戦後本格的空挺作戦は実行されませんでした。それに代わって台頭してきたのがヘリコプターを使用するヘリボーン作戦です。ヘリボーンは、エアボーンに比べ作戦距離こそ短いものの展開も撤収も素早くでき、使い勝手が良かったので多用されます。ベトナム戦争などまさにヘリボーンの戦争でした。

 C-17の登場で空挺作戦がどう変わったか?ですが、その実例としてイラク戦争を上げましょう。イラク戦争と言えば、第3、第4歩兵師団(どちらも戦車247両を有する実質機甲師団)や第1海兵師団などの南方からの機甲突破だけが持て囃されますが、その成功をもたらしたのは実はイラク北部に展開した第173空挺旅団とグリーンベレーなど特殊部隊でした。

 第173空挺連隊は、飛行場補修要員を伴った第一陣(2個大隊基幹)がまずイラク北部の主要飛行場を奇襲占領。直ちに滑走路を補修し、その直後M1A1エイブラムス戦車を搭載したC-17が降り立ちます。その後C-17は戦闘車両、弾薬、補給物資、兵員をピストン輸送し、強力な防衛陣地を構築しました。現地のイラク軍はこのために手が出せず、アメリカ軍はイラク北部の要地を次々に占領していきます。

 すでに空爆で情報網を寸断されていたイラク軍は、イラク北部に展開したアメリカ軍の総数が分からず混乱します。実態はわずか2200名、それにクルド人民兵数千から数万という兵力だったそうですが、疑心暗鬼にかられたイラク軍は、2個戦車師団を含む13個師団をこの地に釘付けにされたそうです。

 イラク北部の13個師団がもしバクダッド方面に投入されていたら、アメリカ軍は大苦戦するか、もしかしたら勝利は無かったかもしれません。いくら質が勝っていても量には敵わないからです。C-17輸送機はイラク戦争の勝利に大きく貢献したと言えます。

 現在C-17は緊急展開部隊ストライカー旅団戦闘団に欠かせない存在です。その搭載にはいくつかのパターンがあります。

パターン1:ストライカー装甲車×4両

パターン2:ストライカー装甲車×2両、兵員×54名

パターン3:ハンヴィ汎用車×8台、兵員×27名

パターン4:FMTV5トントラック×6台

パターン5:HEMTT重機動トラック×4台

パターン6:M198 155㎜榴弾砲×2門、FMTV5トントラック×4台

パターン7:ブルドーザー×3台、トレーラー×2台

などです。理論上ストライカー旅団のすべての装備、車両をC-17だけで空輸でき、世界中のどこにでも96時間以内に展開できます。C-17がアメリカ軍のプレゼンスを支えていると言っても過言ではありません。