ソ連邦では、独ソ戦での戦車の被害が甚大だったためしばらくは比較的小規模な戦車旅団(定数90両で他国の大隊規模)をいくつか集めて戦車軍団として運用していましたが、生産数が増え安定供給できるようになるとようやく戦車師団として本格的編成がなされるようになりました。(おそらく戦後)
同時に自動車化狙撃師団にも戦車連隊が配備されるようになります。これはソ連の軍事ドクトリンである大量の戦車部隊による突破で敵に反撃する余裕を与えず圧倒するという戦術に対応するためでした。
戦車師団は、3個戦車連隊と1個自動車化狙撃連隊を基幹、自動車化狙撃師団は3個自動車化狙撃連隊と1個戦車連隊を基幹部隊としています。
これに砲兵連隊(理想的には自走砲連隊)と捜索大隊、支援部隊から編成されました。
驚かされるのは、自動車化狙撃師団レベルで戦車大隊ではなく戦車連隊を持っていることです。これだと小規模な戦車師団と変わりません。さらには自走砲連隊と別にもう一つ砲兵連隊を持つケースもあったそうですからソ連の機甲重視、砲兵重視は際立っていました。
西側が、東側の物量に対抗するために戦車の質を向上させたのも分かりますね。そして回り回って中東の地でソ連製戦車を撃破するようになるのですから歴史は面白いです。
湾岸戦争を見ても分かる通り、地上戦では完全に質が量を圧倒するようになりました。
現在のロシア軍はどうなっているのでしょうか?ここらあたり資料がないので今後の研究課題です。ソ連が崩壊した後、ロシアは大量の戦車をスクラップ処分したそうですから量から質への転換を図っている途中かもしれません。現在のロシア戦車師団と自動車狙撃師団の編成がどうなっているのか非常に興味がありますね!