5500tというのは列強軽巡洋艦としては標準サイズで、球磨型は水雷戦隊旗艦として十分な性能を持っていました。建造当初は36ノットという駆逐艦並みの快足を誇りましたが、改装で7000t近くに排水量が増えると33ノットに速力が落ちました。
球磨型のうち、北上・大井の二艦は、後部砲塔を撤去し61cm四連装魚雷発射管×10基40門というものすごい雷撃力をもつ艦に改装されます。これは他国には類のない艦型で日本得意の水雷戦隊による夜戦の切り札と目されました。
そして北上は、人間魚雷回天の搭載母艦に再改装されます。同級艦5隻のうち他の艦が戦没する中皮肉にも生き残ったのは回天搭載母艦の北上だけでした。
戦後は復員支援の工作船として使用され、1946年長崎造船所で解体されます。
排水量 | 基準:5,100t、公試:5,500t |
全長 | 162.10m |
全幅 | 14.17m |
吃水 | 4.80m |
機関 | 90,000hp |
最大速 | 36.0kt |
航続距離 | 5,000nm / 14kt |
兵員 | 447名 |
兵装 | 14cm砲 7門、8cm高角砲 2門 53cm連装魚雷発射管 4基8門 |
航空機 | 水上偵察機 1機 (近代化改装後) |