鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

コレヒドール要塞

イメージ 1

イメージ 2

 (川口浩探検シリーズ)謎の巨大要塞島!コレヒドール地底に白骨トンネルは実在した!!


 懐かしの川口浩探検隊のタイトルなんですけど、これは見たかったなあ~。結構このシリーズ好きで見てたんですけどね、覚えていないorz

 まあ、他が「原始猿人バーゴン」とか「脅威!フィリピンの奥地に首狩り族を見た!!」とか強烈過ぎましたからね。地味すぎて記憶に残らなかったのかも?(爆)あ、話は変わるけど首狩り族にはフィリピンのほかにニューギニアのパターンもありますよ、どうでもよい知識ですけど…。




 と、冗談はさておきコレヒドール要塞は実在します。(あたりまえか?)まじめな戦史ファンには激怒されるようなふざけた出だしですけど、面白ネタだから許して~。

 コレヒドール島はバターン半島の先にありマニラ湾の入り口を守る要衝としてスペイン統治時代から要塞が営まれていました。アメリカが統治を引き継ぐとさらに要塞は強化されます。

 やや旧式ながら30センチカノン砲8門、30センチ榴弾砲12門を擁し地下には発電所、地下鉄を有した近代要塞に生まれ変わりました。


 1941年12月、開戦まもなく日本軍がフィリピンに上陸するとマッカーサーバターン半島と背後のコレヒドール要塞に立てこもる戦略を選択しました。というのも寄せ集めで練度の低い米比軍では機動防御など夢のまた夢だったからです。兵力は要塞本体で13000、半島全体で45000くらい。ただほとんどが敗残兵でどれだけ抵抗できるかは未知数でした。

 一方日本軍はバターンの米比軍兵力を侮り、主力の第48師団と第5飛行集団を蘭印作戦に投入するため転進させます。敗残兵にはこれで十分とばかり歩兵第9連隊と二線級の第65旅団を振り向けたばかりでした。

 ずいぶんと舐められたものですが、さすがにこれでは攻略は不可能でした。のちに第16師団木村支隊まで投入しますが第一次バターン半島攻撃は頓挫します。


 これを受けて大本営南方軍、現地の第14軍もあわてて各地から兵力を集結させました。

 第16師団(一部欠)
 第65旅団(一部欠)
 第4師団
 永野支隊(第21師団の一部、歩兵第62連隊基幹)
 第一砲兵隊(重砲兵第1連隊他)
 飛行第60戦隊(重爆35機)、第62戦隊(重爆25機)、第16戦隊(軽爆32機)


 第二次攻撃は1942年3月24日開始。今回は前回の失敗に懲り入念な空爆から始まり、地上攻撃は4月3日でした。この時補給が完全に途絶えていたバターンの米比軍は11日には降伏。捕虜7万を出します。その後有名なバターン死の行進が起こりますが本稿とは関係ないので割愛します。

 ただ日本の為に弁護すると、死の行進といっても日本兵も一緒に歩いていたわけですから何をか言わんや、です。あんたらが体力なかっただけだろ!!!食事で出された牛蒡の煮付けを「木の根を食わされた」と言われてもね(苦笑)。日本ではごちそうなんだよ!(怒)ちなみに草の根ですから~(爆)。


 今回はよく脱線するなあ(苦笑)。まじめに本題に戻ります。コレヒドール要塞攻撃は4月14日開始されました。この時の日本軍は珍しく(失礼!)火力重視でした。

 24センチ榴弾砲を中心に使える火砲すべてを投入し十分な準備射撃を行います。5月5日夜陰を衝いて歩兵第61連隊の2個大隊と戦車第7連隊の一部がコレヒドール島の北東端に上陸、橋頭堡を築きます。

 早くも6日正午には、逃げ出したマッカーサー(笑)の後を継いでいたウェーンライト中将が降伏を申し出ました。早っ!情けないくらいにあっけない幕切れでした。


 上陸されるのも論外ですが、上陸されてから1日持たないなんて…。地形からみるとまず簡単に上陸されるはずがないんですがね~。よっぽど砲台とトーチカの配置が悪かったか、手を抜いていたか?


 一番の敗因は守っていた米比軍のやる気のなさでしょう。総大将が真っ先に逃げ出したんだから真面目に抵抗するのも馬鹿らしいと思うのは自然な感情ですしね。


 おそらく最短要塞陥落記録なのでは?イタリア軍の第一次トブルク要塞といい勝負かもしれません(爆)。