先日、ふと思い立って熊本県南関町にある鷹ノ原城跡へ行ってきました。
おそらくよほどの城マニアでないと知らないと思いますが、加藤清正が肥後入部後、熊本城の守りとして南の佐敷城(熊本県芦北町)とともに筑後国境に築城した城です。
佐敷城の方は、私も訪れたことがありますが発掘が進み山頂に見事な石垣をのぞかせています。一方、こちらの鷹ノ原城はようやく発掘が進み始めたというところ。
歴史を簡単に振り返ると、それまでの南関地方の抑えであった大津山城が山城で手狭になったため、1600年加藤清正が縄張りし築城したと伝えられています。城代として重臣加藤美作を置き豊前街道を押さえていたそうですが、1615年の元和一国一城令で廃城になりました。
私の想像では、たいした城じゃないとたかをくくっていたため、デジカメを持って行かなかったことが痛恨事でした。
南関町役場裏手の山が城跡ですが、遠くから眺めるのとは大違い、実際登ってみると急峻な山でした。地図で見ると標高100mとあり、納得。
おそらく山頂付近の城ノ原官軍墓地あたりが本丸だと想像します。日曜日に訪れたんですが、『発掘中につき立ち入り危険』の看板と縄が張ってあるところをひょいと越え(ごめんなさい)本丸と二の丸らしきところを散策しました。
かなり大規模で、たぶん熊本城の本丸くらいはありそうな城域でした。まだ調査が完了してないので何とも言えませんが、織豊期の石垣や虎口が見て取れ、城造りの名人、加藤清正の息吹が感じられる城跡です。
一刻も早く発掘調査が終わり一般公開してくれることを望みます。それにしても南関町は羨ましい!大津山城と鷹ノ原城の二つも城跡があるんですから。
我が玉名市も内野城というすごい城を持ってるのに!私の調査では、中央の館だけが城域ではなく馬場地区から中土、大野下駅前を包含した大規模な城だった可能性があります。(実は私の住んでる地域もこの城内だったりします・笑)
鎌倉時代に斎院別当中原親能が、肥前・肥後・筑後三ヶ国の守護に任ぜられて赴任した時に築いたのが始まりとされますが、その後当地を支配した豪族大野氏に受け継がれ、竜造寺隆信の肥後侵攻の際の本陣になったそうですから、その時に大規模に改修されたと私は睨んでいます。
あ~あ、私が玉名市長ならすぐ調査するのに!でも一つの集落が丸々入っているから観光地化は難しいなあ。
それにしても、何度も言いますが南関町は羨ましい~!この近所の市町村では一番城に恵まれています!!!次点で、筒ヶ岳城、梅ノ尾城を持ってる荒尾市か?
って、超ローカルすぎて誰も付いてこれませんね(汗)。反省。