「かーっかっかっか、キン肉マンお前の負けだ~!」って、それはアシュラマン(笑)。その元ネタの阿修羅についてです。
仏典では…
【阿修羅(あしゅら、あすら、Skt:asuraの音写、意訳:非天)は八部衆に属する仏教の守護神。修羅(しゅら)とも言う。大乗仏教時代に、その闘争的な性格から五趣の人と畜生の間に追加され、六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主となった。
阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。】
とされています。
阿修羅は、神ではないが神に近い力を持つ者とされ、もともとは悪鬼という存在ではなかったと思われます。研究者の中には、面白い説を述べる人がいて、阿修羅とはそもそもアーリア人の崇める神のひとつだったのではないか?としています。
インドに侵入したアーリア人はインドラやブラフマン・ビシュヌ・シヴァを崇める一派、一方阿修羅を崇める一派はペルシャ方面に向かったと推理しています。ゆえにペルシャではゾロアスター教の最高神アフラ・マズダとなったのではないか?という主張です。
インドに侵入したアーリア人とペルシャに向かったアーリア人が対立関係にあったためにインド世界では神仏に敵対する存在あるいは悪鬼の一種となったと。アフラ・マズダと対立する悪魔アーリマンが、仏教世界で梵我一如がブラフマン(梵天)と一体化する自我(アートマン)という境地を表していることからブラフマン(と一体化したアートマン)と似ているような気がして、なかなか説得力のある仮説です。
ところで阿修羅の存在そのものを古代シュメール文明に求める説もあります。シュメールと須弥山(サンスクリット語ではスメール)の類似性。シュメールの最高神マルドゥークと帝釈天インドラの類似性。それと対立する神アッシリアの最高神アッシュルが阿修羅の語源ではなかったかというのです。
今のところ私は、シュメール文化の影響がアーリア人に受け継がれ阿修羅やインドラの概念ができたと考えています。面白いことにアーリア人の故地である中央アジアは、シュメール人の発祥の地の有力な説の一つでもあるのです。印欧語族とセム系という違いはありますが…。
ところで阿修羅といえば興福寺の阿修羅像が一番有名です。憂いを秘めた正面の顔は奈良時代の美少女を模したという説がありますね。
大いなる謎を秘めた阿修羅を象徴しているようで興味深い仏像です。