バルジの戦いでのドイツ軍戦闘序列を書いたので、ドイツ軍最後の戦いベルリン攻防戦での戦闘序列もついでに書いておきます。
ベルリンの戦いとは、1945年4月16日ソ連軍のゼーロウ高地攻撃開始で始まるドイツ第3帝国首都ベルリンとその周辺で行われた一連の戦闘を指します。最終決戦のベルリン市街戦に参加したのはヴィクセル軍集団第9軍の第56装甲軍団と警察官部隊、ヒトラーユーゲント、国民突撃隊などの寄せ集め部隊でした。
戦闘の詳しい経過については戦史書庫の「ドイツの戦争13ベルリン攻防戦(終章)」で書いたのでご参照ください。それにしても第3装甲軍司令官のマントイフェル大将(バルジの戦いでは第5装甲軍司令官)は、こんな乏しい兵力でよく善戦したなと驚きました。装甲軍とは名ばかりで装甲師団は一つもなく、装甲擲弾兵師団(隷下に戦車大隊1個をもつ)さえ無かったんですから。
ベルリン市街戦を戦った第56装甲軍団のヴァイトリング大将(ベルリン防衛司令官兼任)も、充足率が大きく下がった正規師団と寄せ集め部隊で粘り強く戦ったものです。末期になってもなお、ヴィクセル軍集団司令官のゴットハルト・ハインリキ上級大将はじめ優秀な指揮官が数多くいたんですからドイツ将校団の層の厚さを感じました。
ヴィクセル軍集団はポーランドの中央を流れるヴィスワ川(ドイツ呼称ヴィクセル川)からベルリンまでが担当地域でしたが、各地で善戦するも倍以上のソ連軍の数の暴力に屈し戦線を突破されたことでベルリン市街戦に突入しました。中央軍集団は、かつて独ソ戦に参加した中央軍集団の成れの果てですが、ヴィクセル軍集団の南方地域を担当します。
中央軍集団第4装甲軍(これも独ソ戦に参加)第5軍団隷下に第21装甲師団の名前があると思います。戦史に詳しい方ならロンメル元帥のドイツアフリカ軍団(DAK)の指揮下に第15装甲師団と共にあった有名な師団だと気づかれると思います。しかしその時の第21装甲師団はチュニジアの戦いで壊滅し、ヨーロッパで再編成された師団でした。
再編成後の第21装甲師団もノルマンディーの戦いから西部戦線で激闘を演じたベテラン師団でしたが、このころはすっかり消耗し稼働戦車数も数十両程度に落ち込んでいたそうです。1945年4月29日激戦の末ソ連軍に降伏しています。
ちなみに、ナンバ―師団以外の装甲師団がいくつか見えますが、これは正規師団ではなく寄せ集めの劣悪師団で一つとして装備定数を満たしたものはありませんでした。半分もあれば良いほうで、中には実質戦車大隊程度の数しかない師団も多かったそうです。
こうしてみると、開戦当時華々しかったドイツ装甲軍団の末路を見るようで哀しいものがありますね。