鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

明治から大戦期までの日本の主力小銃

 前記事で幕末の各藩の軍備について書いたので、維新後から昭和の大戦時までの主力小銃に関して調べたくなりました。いつものごとくマニアックなので軍事に興味のない方はスルーしてください。

 日本初の国産小銃は薩摩藩出身の陸軍火器専門家村田経芳が開発した村田銃でした。元込め式ですが単発で列強が採用しつつあったボルトアクションライフルと比べると旧式化が否めないものでした。しかし国産できたという事はその後の発展に大きく寄与したと思います。

 次の三十年式は、陸軍大佐有坂成章(なりあきら)が開発したボルトアクションライフルです。海外のボルトアクション式ライフルと遜色ない性能で、これを改良した三八式小銃、口径を7.7㎜に増大した九九式とともに海外ではアリサカライフルの名前で有名です。今でも愛好家がいるくらいの名銃だと言えます。

 米英ソ独の主力小銃がともに1000万挺超えの生産数に比べると100万挺単位は少ないような気もしますが、日本の工業力を考えると頑張った方だと思います。村田銃と九九式の有効射程が異様に長いのは狙撃銃としての数値だと思います。各国の小銃もスコープ付きの狙撃銃だと有効射程1000m超えますから。

 アメリカがチート国家だと言えるのが、第2次大戦中他国がボルトアクションライフルを主力小銃として使う中、近代的なセミオートライフルであるM1ガーランドにいち早く切り替えた事でも分かります。ドイツもセミオートのワルサーGew43を開発しましたが、わずか46万2000丁しか生産できずKar98Kを完全に切り替えるには至りませんでした。M1ガーランドを625万挺も生産したアメリカが凄すぎるのでしょう。

 とは言え、ドイツは現代の主力小銃であるアサルトライフルMP43やStG44などの後の時代にも強い影響を与えた名銃を生み出したのでこちらも評価が高いです。

 現代ではアサルトライフルの口径が7.62㎜から5.56㎜と小さくなり、さらにアメリカの次期主力小銃M7では6.8㎜に戻りつつあります。7.62㎜では反動が強すぎ、5.56㎜では威力が小さすぎるということで6.8㎜に回帰しつつあるのでしょう。それを考えると大戦中の日本の小銃は口径6.5㎜で良かったと思いますね。たしか欧州では体格の小さいイタリア兵も6.5㎜のカルカノM1891を使っていましたよね。

 体格の小さい日本兵には7.7㎜は反動が強すぎてガク撃ちになったと想像します。それを考えると7.92㎜モーゼル弾を使っていたドイツ兵はどれだけガタイがでかいんだと驚きます。支那事変の時6.5㎜の九六式軽機関銃では発射音が小さくてシナ兵が逃げないと文句を言っていた現場兵士の声で7.7㎜の小銃と軽機関銃を開発したと言われますが、今考えると「いったい何を言っているんだ?」と呆れますね。

 シナ兵が逃げないなら八九式重擲弾筒を撃ち込めばよいだろ、と思います(苦笑)。