鳳山雑記帳はてなブログ

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黒水城(カラ・ホト)の話

 24日のあさ8の雑談で百田さんがたまたま黒水城の話を出されて非常に懐かしく思いました。と言いますのも昔NHK特集『シルクロード』第4回で黒水城が紹介されていたんです。

 黒水城は中世モンゴル語で『カラ・ホト』と呼びました。甘粛省青海省の境界近く祁連山脈に源流を発し祁連山脈南麓に沿って、八宝鎮で八宝河と合流の後北西流、次いで北東に転じて祁連山脈を北に抜けて甘粛省に入る海に流入しない内陸河川に弱水という河があります。現地の言葉でエチナ川、別名黒水と言います。

 甘粛省酒泉市から弱水沿いに北東に300㎞ほど進んだところに黒水城があります。黒水城の名前の由来は弱水の別名黒水から来ているのでしょう。私は最初地図を見て黒水城のほうが上流、甘粛回廊のほうが下流と思っていたんですが、どうも逆のようです。たしかNHKシルクロード』ではチンギス汗の西夏攻撃の際、西夏軍が激しく抵抗しモンゴル軍に滅ぼされたと紹介されていたと思います。

 私も長い間信じていたんですが、調べてみると落城後も復興されモンゴル帝国の宗主権のもと繫栄したそうです。西夏時代の3倍も市域が拡大したそうですからよほど栄えていたんでしょう。

 黒水城の歴史は1032年まで遡り11世紀には西夏の重要な交易都市として存在しました。地図を見ると弱水から15㎞くらい南東の内陸部に位置するので人が集まるのか疑問だったんですが、オアシスがあったのかもしれません。西夏黄河几状湾曲部の西側の興慶(現在の銀川市)を首都としていました。興慶と黒水城は直接行こうと思えば砂漠を通らなければ連絡できません。

 古代からの主要な交易路であるシルクロードは、甘粛回廊の武威(漢代の涼州)、張掖、酒泉、敦煌という数珠繋ぎに連なるオアシス都市が主要交易路(甘粛回廊)だったはず。その南側は祁連山脈、北側はゴビ砂漠で挟まれ、弱水の近くとはいえゴビ砂漠の真っただ中にある黒水城が交易の中心地であることはにわかには信じがたいんですが、古代から中世にかけてはゴビ砂漠を横断するルートがあったのかもしれません。

 元朝15代皇帝トゴン・ティムール(順帝)は明軍に大都(現在の北京)を追われたあと黒水城に潜伏したと言われます。大都から直接モンゴル高原に逃亡したと思っていたので意外でした。その後順帝はモンゴル高原南部の応昌府(内モンゴル自治区赤峰市ヘシグテン旗)に逃亡しこの地で没します。

 赤峰市は北京の北東300㎞にあり、黒水城とかなり離れているので黒水城潜伏はただの伝説かもしれません。元朝残党が北走したと言っても、意外と明の領域の近くに居たのは驚きました。内モンゴルを根拠地にしたチャハル部がチンギス汗の正当後継者(黄金氏族)を名乗るのも納得できますね。

 黒水城は元代にも繁栄を続けたみたいですが、結局ゴビ砂漠の真っただ中にあることが災いして深刻な水不足に陥り(オアシスの湧水が枯渇した?)20世紀に至るまでには放棄されたようです。黒水城がいつ放棄されたかは調べた限り分かりませんでした。しかしシルクロードで紹介したような戦乱で滅びたわけではないことが分かり安心しました。

 

 

追伸:

 その後調べてみると、黒水城跡から北北西に70㎞程離れた湖居延海は古代にはもっと拡大していたようで周辺に湿地が広がり、黒水城も居延海のほとりにあったみたいです。現在の環境と当時はかなり違っていたのかもしれません。周辺の砂漠化で居延海が縮小し、黒水城も滅びたのでしょう。