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メルブ   砂漠に消えた幻のオアシス都市

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 忘れたころにやってくる「世界の都市の歴史」シリーズ。今回はトルクメニスタンにあるメルブ遺跡の話です。最近の世界史記事の傾向から、私が中世西アジア史にはまっていることがお分かりでしょう。実は、マラズギルトの戦いの記事の後、ビザンツのアレクシオス1世コムネノスとセルジューク朝の大宰相ニザーム・アル・ムルクに興味を覚え、ビザンツは後で書くとして、ニザーム関連でまずイランの北西部からトルクメニスタン南部にまたがるホラサン地方を調べました。

 すると、イスラム帝国が最初ホラサン地方を制圧した時総督府をこのメルブに設けた事が分かりました。その後総督府はニーシャプールに移ります。ニーシャプール(イラン北西部)はグーグルマップですぐ見つかりました。現在ではネイシャープルと呼ばれているみたいですね。ところがメルブは見つからなかったので、ググってみるとすでに都市としての機能は失われ、現在は遺跡となりトルクメニスタン最初の世界遺産に登録されたとか。

 最盛期には人口100万という世界史上有数の大都市だったメルブがどうして滅んだのか?犯人はやはりモンゴルでした。モンゴルは東西を結び一大交易ネットワークを築くなど数々の功績もあるのですが、メルブを廃墟にしたり、イラン高原のカナート(カレーズとも言う。古代から伝わる灌漑技術)を破壊し豊かだったイランを荒廃させるなど数々の悪事もやらかしています。カナート網が現在も存在していたら、おそらくイランは人口1億を超えていたと思います。

 まずメルブという町の成立から見て行きましょう。メルブは紀元前600年アケメネス朝時代にはすでに存在していました。アレクサンドロスがこの地を征服しマケドニア王国が成立すると、メルブはマルギアナと呼ばれます。現在の地図で見ると、トルクメニスタン第2の都市マリからM37線沿いに東に向かって10kmほどいきます。すると不思議な遺跡が見えてきます。北辺に円形の城壁をもち、その周囲を四角の城壁で囲った都市遺跡が確認できます。これがメルブ遺跡です。

 マケドニア時代のマルギアナは、北辺の円形の城域でした。周囲は砂漠でメルブの周辺だけに緑があります。典型的なオアシス都市です。現在はこの円形城域内の遺跡をエルク・カラと呼ぶそうです。この内部だけでも12ヘクタールあります。その後拡張され四角い城壁の内部面積は60平方キロもあるそうです。人口100万という数字も納得できますね。

 メルブはシルクロードの要衝として順調に発展を遂げ、パルティア時代、ササン朝ペルシャ時代、イスラム帝国時代、その後の混乱期、セルジューク時代までホラサン地方の主邑であり続けました。統一セルジューク朝最後のスルタン、サンジャルの時代には首都となります。スルタン・サンジャルの廟もメルブにあり頑丈に造られていたためさしものモンゴル軍もサンジャル廟だけは破壊できなかったそうです。

 私は遊牧帝国を築いた大先輩セルジューク朝に敬意を払ってモンゴル軍が破壊しなかったのだと好意的に解釈しようと思ってましたが、冷静に考えるとコーランを入れた聖なる箱を馬の飼い葉桶とか水のみ桶にしたくらいデリカシーの無い連中ですから、本当に頑丈で壊せなかっただけなのでしょう。

 12世紀末メルブは、アムダリア河口デルタ地帯に興った強国ホラズムの支配下に入ります。ホラズムはチンギス汗の征西の目標となったため、メルブにもモンゴル軍が殺到しました。モンゴル軍はいち早く降伏した都市は住民の命だけは助けますが、一度でも抵抗の構えを見せると降伏を許さず、見せしめのために皆殺しにしました。メルブは、モンゴル軍の送った降伏勧告の使者を殺すという最悪の選択をします。

 メルブを攻めたモンゴル軍の指揮官はチンギス汗の末子ツルイだったそうですが、1221年モンゴルの大軍はメルブを容赦なく攻め立てて占領しました。その後、生き残った住民は場外に引き出されことごとく殺されます。メルブも徹底的に破壊されたため、その後復興する事はなかったようです。サマルカンドのようにモンゴル軍破壊後見事に復興した都市もあったのに比べると、悲惨な歴史ですね。私は、大航海時代が始まりシルクロードの重要性が薄れた事が復興に繋がらなかったのではないかと推測します。

 モンゴル占領当時も100万の人口がいたとしたら、メルブの周辺を掘ると夥しい人骨が出土しそうですね。私は憶病なので、ぜったいにメルブの近くには住みたくありません。その意味では、サマルカンドやヘラートなどモンゴル軍虐殺由来の都市には絶対に旅行したくありません。興味はとてもあるんですが…。よく調べないと、モンゴルの後ティムールも虐殺してますから、中央アジアの主要都市はほぼアウトかと(苦笑)。