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隋唐帝国Ⅰ  晋の滅亡

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 日本でもなじみの深い三国時代。魏呉蜀と分かれた大陸を統一したのは魏の権臣司馬炎でした。彼は諸葛亮のライバル司馬懿の孫にあたります。司馬炎は自分が乗っ取った魏が帝室の親族を圧迫して力を弱めた反省から、一族を各地の王に封じ帝室の藩屏とすることで国家を守ろうと考えます。

 しかし何事もやりすぎるとバランスが崩れるのは当然で、今度はあまりにも一族の力が増大しすぎて相対的に皇帝の権力が弱まります。武帝と諡された司馬炎の時代はそれでも一応の安定をもたらしました。ところが後を継いだ恵帝は暗愚だったため、八王の乱という大乱を招きます。反乱を起こした司馬一族の王たちは、愚かにも周辺異民族の力を利用しようと国内に引き入れました。

 八王の乱自体は何とか鎮圧されたものの、結果として周辺異民族の強大化を招きました。全く愚かとしか言いようがありませんが、結局第4代愍帝(びんてい)の時、八王の乱の混乱に乗じて自立していた匈奴の族長劉淵に317年滅ぼされてしまいます。

 五胡十六国時代というのは西晋の滅亡から北魏華北を統一する439年までを言います。すでに八王の乱の時から支那大陸の混乱は始まっていたともいえますが、五胡というのは次の五つの民族です。


匈奴…戦国時代以降支那の北縁を脅かしたトルコ系遊牧民族後漢の時大飢饉が起こって南北に分裂し、そのうち南匈奴が漢に降伏し山西省に住んでいた。北匈奴は西進してフン族となったとされるが、確証はない。

羯(けつ)匈奴の別種。あるいは月氏系とも言われる。石勒によって後趙を建国するが数が少なすぎて後趙滅亡時の漢人による大虐殺で消滅。

鮮卑匈奴衰退後モンゴル高原で強大な勢力を誇った遊牧民族。モンゴル系だとされる。北方異民族で最大の勢力を誇り、北魏を建国しその後の支那王朝の方向性を決める。

羌(きょう)チベット遊牧民族支那周辺の異民族としては春秋時代から認識されていた古い民族。一説では周の武王を助けて天下統一に貢献した古の大軍師太公望姜子牙(斉に封じられる)はこの羌族出身とも言われる。古代には支那大陸各地に分散して住んでいたが、支那が統一されるにつれ圧迫され陝西省甘粛省に追いやられていた。

氐(てい)チベット遊牧民族。主に四川省から陝西省甘粛省南部に定住。成漢、前秦後涼などを建国。前秦の苻堅の時、一時華北を統一する。


 各国、各民族の興亡を記すのは煩雑なのでまとめると


 これだけでなく、他にも短命の国、周辺の小国などもあるのですが煩雑なので省きます。

 実質的に、西晋の滅亡をもって古代から続いていた支那文明は断絶しました。長い戦乱の中で純粋な漢民族の男たちはほとんど殺され女は奴隷となり、北方異民族との混血が現在の支那人となります。ですから古代支那人と現在の支那人は全く別の民族とも言えます。もちろん山間部など辺境には古代から続く純粋な漢民族も見つかるとは思いますが、おそらく全人口の1%もないでしょう。遊牧民族の恐ろしいところは、家畜を捌くように支配下の異民族を平気で虐殺できるところです。これは後のモンゴルや中央アジアに興った遊牧国家も同様です。

 本シリーズでは、支那が変質した五胡十六国時代から北方遊牧民族支那化し世界帝国を建設した隋唐帝国の興亡まで描く予定です。次回は華南に逃げた晋の残党、東晋の建国と淝水の戦いを記しましょう。