鳳山雑記帳はてなブログ

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書評 「JAPANESE AIRPOWER」

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 私は反日左翼の「先の戦争はすべて悪だった」という主張を認めないのと同時に、国粋主義者の「大東亜戦争は正義の戦争だった。皇軍は最強ですべて素晴らしく失敗などはない」という意見にも同調できません。なぜなら二つの主張は互いに相似関係にあるからです。事実を素直に評価し失敗は失敗として認め次につなげるという未来志向が皆無という意味で共通しています。

 戦史に限らず歴史を学ぶ意味は、過去の出来事を冷静に分析し現在の教訓としより良い未来を創る事にあると思うのです。ですから私は、旧日本軍の失敗は厳しく指摘しましたし、良いところは褒めてきたつもりです。そもそも日本の選択(外交・軍事)が致命的に誤っていたから負けたのであり、その部分は真摯に反省し二度と同じ間違いを犯さないことが肝要です。その意味でこの本は良い教訓になりました。

 本書は、アメリカ軍戦略爆撃調査団が戦後大統領の命令で日本の航空戦力の成り立ち、作戦、日本軍の失敗、戦略爆撃の効果など詳細に調べ上げ提出した報告書です。プロの軍人と軍官僚数百人が多くの日本軍関係者から聴取しただけあって、無駄なところが無く、厳しい事実を突き付けられ我々日本人は戦慄すら覚えます。

 日本の航空機産業の劣勢、燃料生産体制の遅れなどは戦史を読む人ならとうに理解されていると思います。私もそうでした。ところが報告書では、日本軍の航空機運用自体が致命的に間違っていたと指摘しています。例を上げると、ニューギニア戦線においての大失態があげられます。当時日本軍はニューギニアを重点作戦区域に認定し航空戦力も計算上では500機集結しているはずでした。ところがろくな補給、整備態勢を整えていないために輸送段階で3割喪失し、陸軍の大規模飛行場があるウエワクを米第5航空軍に奇襲され一度に地上で120機を喪失するという大敗北を喫します。当時のニューギニア戦線での稼働兵力が200機前後ですから戦わずしてその6割以上が失われたわけです。これでは勝てる戦争も勝てません。

 私は南方で三式戦飛燕や四式戦疾風の稼働率が低かったのを機体のせいだと思っていましたが、実際は本格的な整備部隊を伴っていないため本来であれば修理すれば飛べる機体も部品が無いために廃棄せざるを得なかったそうです。疾風の整備を担当した整備兵の手記などを見ると、本土で十分補給整備体制が整っている部隊では稼働率が8割を超えていたという話を聞いていましたので納得できました。

 日本陸軍は、本格的な整備補給廠をフィリピンのマニラにしか置いておらずニューギニアで損傷した機体はフィリピンまで運んで修理してました。これでは前線は共食い整備になるし、まともな部隊運用ができません。一方、海軍は整備補給廠をラバウルまで進出させていました。南方の航空戦で海軍が主体になるのはこの事実からも当然だったと思います。

 日本軍の航空機補給・整備体制が噛み合ってきたのは比島決戦以後だそうですが、すでにこの段階では詰んでおり全く無意味でした。報告書では日本の航空作戦の欠点も指摘しています。本来なら空母機動部隊より地上基地の航空部隊の方が一挙に大兵力を集められるので有利ですが、そうならなかったのは索敵の不備、情報連絡の不備、戦力の逐次投入など日本側に大きなミスがあったからだそうです。私もまったく同感です。

 数で劣る側は、焦点となる戦場で局所的に敵よりも上回る兵力を集め一気に叩くというのが古今東西の戦争の鉄則ですが、数でも劣り、戦術でも劣り、運用でも劣ったとすればすでに戦う前に負けは確定でした。アメリカ軍は日本空軍(陸軍航空隊、海軍航空隊)の撤退方向すら間違っていたと指摘しています。敗北は仕方ないとしても、万が一の事を考え撤退を準備し、攻めてきた敵に反撃できる場所を選定すべきなのに、日本軍はどこからも支援を受けられない場所に撤退し、損害を無用に大きくしたそうです。日本人としては耳が痛い話です。

 一時の戦闘では負けても、追撃してきた敵を誘いこんで効果的に反撃を行う事を兵学的には機動防御と呼びます。その好例がマンシュタインの東部戦線におけるハリコフ機動戦です。「後の先」作戦と呼ばれたマンシュタインの用兵は後世高い評価を与えられています。これは意図的に敵を誘いこんで痛撃を与えた戦例で、ここまで見事にしろとは言いませんが、日本軍ももっとやりようがあったのではないかと思うのです。

 日本軍最強主義の国粋主義者には不快な本かもしれませんが、事実を冷静に受け止め未来に生かせる常識ある日本人には必読の書だと私は思いました。興味ある方は一読をお勧めします。