ポンペイウスが東方経略を終え帰途についている頃、またしてもローマで大事件が起こります。引き起こしたのはカティリナというつまらない男でした。素行の問題のあるカティリナは何度執政官選挙に出ても落選したため、非合法な手段で政権を握ろうと紀元前62年エトルリアのスラの退役兵たちと語らい蜂起を計画します。ところが陰謀は露見しそのカティリナを紀元前64年の執政官選挙で破ったキケロが中心となって元老院を動かし一味を逮捕しました。
保守強硬派の小カトー(大スキピオを弾劾した大カトーの曾孫)は、全員死刑にすべしと主張します。ところが「まだ未遂犯なので終身禁固刑が妥当である」とただ一人異を唱えた者がいました。彼の名はガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前102年~紀元前44年)。大神官という権威ある官職には就いていましたが元老院議員としては駆け出しの新人でした。スラの迫害で小アジアに亡命しローマに戻ってようやく官途に就いたばかりです。
結局小カトーの意見が通りカティリナ一味は処刑、身一つで逃れたカティリナ本人も少数の反乱軍と共に殺されました。カエサルは、保守強硬派が主流を占める元老院貴族の中にあって一人正論を述べた事で小カトーらから怒りを買いますが、逆に権威への挑戦者として民衆から支持を受けます。
ポンペイウスが東方から帰還したのはこのような時期でした。南伊ブルンディシウムに上陸したポンペイウスは、大方の予想に反して軍を解散、ローマに到着しても元老院尊重の態度を示します。ところが当時ポンペイウスの声望は他を圧倒しており、元老院はこのままではスラの二の舞になると警戒しました。結果論ですが、ポンペイウスが軍を解散せずそのままローマに入城していれば、スラと同様終身独裁官として絶大な権力を握れたはずでした。しかし、ポンペイウスは横紙破りのスラと違い常識人でそれゆえに最大の機会を逃がしたとも言えます。
元老院は、軍を持たないポンペイウスを侮り元老院に無断で東方諸国を裁定したのは越権行為だと責めます。さらにポンペイウスの退役兵への土地割当法案も否決しました。一方、もう一人の巨頭である大富豪クラッススも元老院から軽んじられていました。たかが奴隷反乱を鎮圧したくらいでは元老院はおろか庶民からさえ評価されません。スラ門下の二人は、元老院の政治力の前に屈服せざるを得なくなります。
ところが、苦境の二人に手を差し伸べたのは無名のカエサルでした。カエサルは、以前からポンペイウスの声望を自分の勢力拡大に利用しようと虎視眈々と接近の機会を狙っていたのです。実は、クラッススに対しては自身が莫大な借金をしており、カエサルの破産がクラッススも直撃するため運命共同体に近い存在となっていました。日本円で推定6億円以上の負債の保証人がクラッススでした。
カエサルは、犬猿の仲だったポンペイウスとクラッススの仲を取り持ちます。そして紀元前60年、カエサルが執政官選挙に出馬するに際しポンペイウスは退役兵の票を、クラッススは選挙資金を提供する事が取りきめられます。カエサルはその見返りに懸案だったポンペイウス軍退役兵の土地割当法案その他を可決させる約束でした。法案が元老院で否決されると、カエサルは強引に民会にかけ、ポンペイウス派の実力行使で可決させます。
カエサルは、ポンペイウスとさらに接近するため自分の娘ユリアを妻(再婚相手)に与えました。明らかにポンペイウスがカエサルより年上で政略結婚以外の何ものでもありませんでしたが、ポンペイウスはこの若い妻に溺れ政治への関心を示さなくなります。これが第1回三頭政治で、ポンペイウス、クラッススのローマにおける覇権が確立するとともに新興勢力カエサルの台頭を招きました。
クラッススは閥族派を代表し、カエサルは平民派の雄、そしてポンペイウスは閥族派平民派を超えたローマの第一人者。三頭政治は、共和政ローマ末期に現れた強力な政治体制だったと言えます。その勢力を背景に、カエサルはグラックス兄弟以来の懸案でタブーだった農地法を元老院の反対を押し切り可決させるなど大きな功績をあげました。
執政官(コンスル)職を1年間務めると、自分の好きな任地へ総督(プロコンスル総督制)として赴く事ができます。カエサルは、自分の勢力を拡大するため任地にガリア(現在のフランス、ベルギー、スイス)を選びました。当時ガリアにはラテン民族であるガリア人(ケルト人とも言う)が居住していました。一時はイタリア半島北部ロンバルディア平原(中心都市はメディオラヌム、現ミラノ)にも進出します。共和政ローマは、北イタリアを平定し属州ガリア・キサルピナ(アルプスのこちら側のガリア)を設けました。アルプス山脈を越えた北側はガリア・トランサルピナ(アルプスの向こう側のガリア)と呼ばれます。
当時のガリア・トランサルピナはフランスの南三分の一ほどで、カエサルはローマの支配地域をガリア全土に拡大しようという野望を持っていたのです。ただし多くの部族が存在するガリアはそう簡単に征服できるはずもありません。