戦車話が続いてるのでついでに書いちゃいます(笑)。
大戦中戦車隊の見習士官だった国民的作家司馬遼太郎のエピソードですが、彼はある時新しく配備された三式中戦車に胡散臭さを感じ、その装甲をヤスリで削ってみたところ何と削れたと驚きます。九七式中戦車の時は、ヤスリを使っても表面がカラカラと音を立てて滑るだけで削れなかったのに、敗戦が近付くと生産に余裕が無くなり装甲板ではなく普通の軟鉄を使ったのかと暗然としたとか。
これには諸説あって、装甲が厚くなるとただ硬いだけでは割れやすいのでわざと粘り気のある装甲にしたという説。あるいはそもそも九七式中戦車もヤスリで削れるはずだから司馬の思想的背景から悪意を持って書いたという説などあってはっきりしません。常識からいっても焼き入れしてない装甲板を使うはずありません。
それよりも私が驚いたのは、陸軍でもエリートであるはずの戦車兵が装甲板の知識すらないのか?という事でした。自分の身を守ってくれる戦車の装甲に関しては最低限の知識くらいは当然あるはずだと思っていたからです。知識がなければ防御戦もまともにできませんから。ふつうは配備されるときに技術将校か整備兵に説明を受けると思うんですが…。司馬は劣等生だったそうなので聞いてなかったのかな?
戦車だけでなく軍艦にも使用される装甲板は、均質圧延装甲といって炭素鋼(スチール)にニッケル、クロム、モリブデンなどを加えた合金を圧延し熱処理したもの。戦車の装甲は表面硬化装甲といってさらに均質圧延装甲の表面を浸炭焼入硬化したものです。ですから試作車はいざしらず生産したものに軟鉄が使われるはずは絶対にありません。
このニッケルやクロム、モリブデンさらには徹甲弾で使用されるタングステンなどのレアメタル(希少金属)はもちろん日本では自給できません。ニッケルの世界的産地の一つは日本が大戦中占領していたインドネシアです。タングステンも日本が占領していたビルマは戦前世界生産量の18%を占める一大産出国でした。
レアメタルは大戦中豊富にあったのです。その証拠に日本は潜水艦でタングステンと生ゴム(これも東南アジアが産地)を輸出してドイツから新兵器の設計図を購入しました。アルミニウムの原料であるボーキサイトもパラオとマレー半島で産出し国家備蓄が大量にあったとか。メーカーは戦後残ったアルミニウムで鍋などを作って糊口をしのいだそうです。
いくら輸送船舶不足とは言っても、レアメタルはそう大量に使う訳ではないので1万トン級輸送船で輸送船団組んで10回くらい往復するとかなり備蓄できそうな気はします。アルミなどは大量消費するのでこれでは足りないでしょうが、それでもまだ実際は余裕があったそうですからね。
だったら何故日本はタングステン弾芯の徹甲弾を大量につくらなかったのか?と当然疑問に思われる方も多いと思います。これはあくまで私見ですが、陸軍は最初、あまり真剣に対戦車戦闘を考えてこなかったのでタングステンなどの輸送もそれほど熱心でなかったのではないかと考えます。守勢に回って米軍戦車が各戦場に出現し始めてから慌てて集めようとしたときには、米潜水艦に輸送船が撃沈されて輸送できなくなっていた。これが大戦末期タングステンが不足した真相なのではないでしょうか?
石油もそうですが、レアメタルに関しても南方の重要性は高いですね。日本は比島を失陥し、米軍潜水艦の通商破壊によって南方との連絡を断たれた事が敗戦の直接の原因だったのでしょう。