
よく大東亜戦争に関するIFで、満洲にある大慶(ターチン)油田が戦前に発見されていたら歴史は大きく変わっていたかもしれないと言われます。旧満州地区、現在の黒龍江省のハルビンとチチハルの間に広がる松遼盆地の湿原に存在する大慶油田は1959年発見され年間4000万トンから5000万トンの原油を産出する大油田です。
陸軍燃料廠(石井正紀著 光人社NF文庫)などを読むと、戦前に発見するチャンスは十分にあったとされます。ところがそれに対する反論として大慶油田の原油は重質油で、例え発見しても戦局に寄与することはなかったと主張する者がいるのです。私は素人なので何とも言えないのですが、ネットで調べてみるとある技術者の方の意見として、「大慶油田の油は確かに重質油ではあるが、現在開発されている非在来型の重質油と比べればずっとまともな油質で輸送が難しいのなら油田近くに製油所を作れば問題ない」とのこと。
ここで重質油とは何ぞや?と思われる方がいると思います。ググってみると「アスファルトや重油などが得られる、比重が大きく粘り気の強い原油」とのこと。これなら効率は悪くなるものの油田の近くに製油所を設ければいいだけだと素人考えでも理解できますね。重油が多く取れるのなら艦船動かし放題、アスファルトなら道路や飛行場作り放題でラッキーとさえ思います(苦笑)。軽油(ガソリン、灯油、ナフサなど)が多く取れたとしても、おそらく日本の航空機生産力は低いのであまりアドバンテージにはならなかったかと愚考します。戦車もそんなに多くないし、歩兵師団の機械化もいまいちだしね。