名前は小少将といいます。同名の朝倉義景の愛妾がいたようですが、こちらは別人です。
持隆は早速召しだし側室にしました。小少将と名付けられた少女はこの時おそらく14~15歳だったと推定されます。二人の間に子ができ、真之と名付けられました。後にこの子は持隆の後を継ぐことになります。
このままおとなしくしておけば、彼女も歴史に埋もれたのでしょうが、夫が畿内に出兵している隙に、家宰の三好義賢とできてしまうのです。どちらから誘ったのかは分かりませんが、彼女の後の行動を見るとどうも自分から誘った可能性が高いと思います。
義賢は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの三好長慶の弟でしたから将来性に賭けたのかもしれません。1549年、京兆家の晴元が三好長慶に敗れ没落すると、持隆は足利義栄を擁して上洛しようとしますが、これが義賢に洩れ殺されてしまいました。
夫の死後、ちゃっかり義賢の妻に収まった小少将は三好長治、十河存保という二人の子まで設けます。
これで阿波守護家を継いだ真之と三好長治、十河存保は異父兄弟になってしまいました。
真之に小少将が母親の愛情を示した事はなさそうですから、情の冷たい天性の娼婦だったのかもしれません。
真之の傀儡政権は義賢が戦死して、長治が継いでも変わりませんでした。自分の力ではどうすることもできないと悟った真之は、隣国土佐の長宗我部元親と結び、土佐勢を招き入れます。
元親の後押しで長治を討った真之でしたが、怒った讃岐の十河家に養子に入っていた存保が阿波に攻め入り細川方の城を攻撃します。異父兄弟同士の壮絶な戦いでした。
その間小少将がどうしていたか謎ですが、三好氏の本拠勝瑞城にいたのは確かみたいです。
阿波の混乱に付け入った長宗我部元親は、1582年軍勢を率いて侵入、三好勢を中富川の合戦で撃破しました。
しかし元親も本気で真之を助ける気はなく、単なる阿波侵入の口実でしたから、三好方と細川方の争いには介入しませんでした。元親に見殺しにされた真之は居城茅ヶ岡城を三好方に攻められ八幡原で自害、ここに名門阿波守護下屋形細川氏は滅亡します。
三好氏の本拠勝瑞城を接収した元親は、城にいた小少将を見染めます。元親この時44歳。小少将はどう考えてもこの時50歳近い高齢でした。ちょっと考えにくいのですが、元親は彼女を側室にし、土佐に連れ帰りました。
驚くのはここからです。なんと彼女は元親の子(右近太夫)まで産むのです!高齢出産が本当にできるのか?同名の別人ではないのか?とかなり眉唾ですが記録でそうなっているので信じるしかありません。
本能のままに生きた小少将。私は関わり合いになりたくありませんが、本人は案外幸せだったのかもしれません。ただ関わる男(自分の子も含めて)がことごとく不幸になり非業の死を遂げた者も多いのです。
歴史には時々このようなとんでもない女性が登場しますね。そこがまた魅力の一つなのでしょう。