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歴史のIF第4弾【世界史編】 ティムール VS 永楽帝

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 1404年末、一代で旧モンゴル帝国の西半分を征服した稀代の英雄ティムールは残りの東半分を征服するため念願の明遠征に出陣します。

 従う兵は長年の征服行で彼自身が鍛え上げた精鋭二十万の騎兵。1402年には最大の強敵オスマン帝国のバヤジット1世をアンゴラ(現トルコの首都アンカラ)で破ったばかりでした。

 しかし、この大軍はオトラルの地で大寒波に見舞われ越冬の途上、翌1405年2月ティムール自身が病没してしまうために解散してしまいます。享年69歳。


 もしこの遠征が実現していたらたいへんなことになったのは間違いありません。ここでIFですが、もしティムールがオトラルで死なずに遠征が実際に行われていたらどうなっていたでしょう?当時生きていた人たちは悲惨でしょうが歴史好きとしては想像せずにはいられません。



 まずは当時の明の情勢から。1405年といえば明三代皇帝永楽帝が靖難の変(1402年)で甥の二代皇帝建文帝を倒し帝国の実権を握ったばかり。1406年に首都を南京から北京に遷都しますからティムール軍の来襲はまさに新首都建設の真っ只中になったはずです。

 永楽帝の時代はどんな時代だったでしょうか?それは北虜南倭で苦しめられ歴代中国王朝でも景気の悪い明の唯一といってよい絶頂期でした。この後になりますが宦官鄭和による東アフリカにも及ぶ大海外遠征や、永楽帝自身が率いた五十万もの大軍による五度にも渡るモンゴル遠征が行われています。

 まだこの時期は国力は絶頂には至らぬ時期ですが、それでもティムールにとってはオスマン朝に勝るとも劣らない強敵であったことは間違いありません。

 遠征軍はどの経路を辿って中国へ達するでしょうか?おそらくティムール軍はシルクロードの砂漠地帯は通らず北方の草原地帯を通ってくるでしょう。といいますのも明に追われた北元がティムールに誼を通じてきていましたし、チンギス汗の後継者を称するティムールのもとに没落したモンゴルの皇子たちが庇護を求めてきていたからです。

 とすれば遠征軍は二十万以上に膨れ上がるでしょう。ティムールを盟主にした旧モンゴル帝国軍が明と対峙するはずです。両軍は長城線での攻防から決戦の火蓋を切るでしょう。

 明側も手をこまねいているはずはありません。永楽帝も英雄と言って良い器の持ち主です。その国力から行って五十万以上の大軍を自ら率いて北上してくるに違いありません。実は明はその創業途上にモンゴル(元)の騎兵軍と対決の経験があります。もっとも贅沢に慣れ士気の弛緩しきった弱兵ではありましたが。

 歩兵主力の軍が騎兵と対決するには飛び道具しかありません。機動力に勝る敵にはそれしか対抗手段がないのです。楯を並べ騎馬弓兵の来襲に備え、それ以上の射程を誇る弩を斉射することによって敵の出鼻を挫き、あとはひたすら守りを固め敵に隙ができるのを待って一気にかたをつける戦法です。

 しかし、世界史上有数の戦上手ティムールがその手に乗るでしょうか?ティムールも中央アジアや中東で都市攻撃の経験は豊富です。歩兵主力のインドやシリアなどの文明国の軍隊と何度も対戦し破っています。規模はたしかに明軍の方が大きいでしょうが、歩兵の大軍との戦いに慣れているといって良いでしょう。

 そう考えると大規模な野戦はあまり発生しない気がします。歩兵が守りを固めるには野戦より城塞都市に籠もる方が効率が良いからです。明軍はいくつかの城塞都市を基点にしながら反撃の機会を待つ戦術にでるでしょう。

 勝敗は難しくなってきました。あとは時間との戦いだと思います。永楽帝がティムールの死まで重要な城塞都市を守りきるか?それともティムール軍が落すか?

 明軍が、ティムールの誘いに乗って野戦に持ち込まれたら負けます。永楽帝ファンには申し訳ないですが軍の指揮官としての能力ではティムールのほうが一枚も二枚も上です。永楽帝はもちろん愚将ではありませんから絶対にその誘いには乗らないでしょう。

 ただもしティムールが戦場で没することになれば、遠征軍はカリスマ的な指導者を失って瓦解します。そうなれば永楽帝が混乱した敵軍の間隙を衝いて勝利するに違いありません。

 そろそろ結論に入りましょう。長生きしたらティムールの勝ち。明を滅ぼして再び大モンゴル帝国に匹敵するティムール大帝国が出現するでしょう。遠征途上でティムールが死去したら永楽帝の辛勝。ただ遠征軍に同行してきた北元軍は壊滅的打撃を受けるでしょうから、明はモンゴル高原まで領土に加え最大版図になるでしょう。

 国力の回復には時間がかかるかもしれませんが、その後の明を苦しめた北虜であるタタール部やオイラート部は、このとき滅んで王朝は長続きするかもしれません。

 皆さんはいかが思われますか?