合掌造りの家で有名な世界文化遺産、岐阜県白川郷。この地方は埋蔵金マニアの間でも有名です。1585年、天正大地震(マグネチュード7・8)による大規模な山崩れで一夜にして滅びた帰雲城の伝説です。
飛騨国は地図で見ると分かるとおり山地がほとんどで、平地はわずかです。一国の生産高も四万石少々と貧しい土地でした。しかし、飛騨西北部白川郷一帯を領した内ヶ島氏は120年に渡って繁栄し、本拠帰雲城は城下3百軒と称されるほどでした。
米のほとんど取れないこの地で繁栄した理由は、金でした。内ヶ島氏は領内に複数の金山を保有し伝説では安土城で使われた黄金も白川郷産だと言われています。
内ヶ島氏は、寛政年間(1460年~66年)に八代将軍足利義政の命で信州松代から入部し、白川郷一帯を領したと伝えられます。出自は楠木正成の後裔とも、武蔵七党岡部氏一族とも言われはっきりしていません。ただ幕府奉公衆だったことは間違いなさそうです。
面白い説があって、この内ヶ島氏は武士ではなく、鉱山師集団ではなかったかと主張する研究家がいます。といいますのも、金山を開発するのには特殊な技術がいり、専門家でないと手に負えないそうなのです。幕府の命で、飛騨白川郷の金山を開発するために派遣された技術者集団、そう見ると納得する事実があります。
1585年、豊臣秀吉の命を受けた金森長近は2千余の兵力で飛騨に侵攻します。飛騨は統一した勢力はなく旗頭の三木(姉小路)氏は金森勢にあっというまに滅ぼされます。しかし内ヶ島氏は降伏を許され本領安堵されました。おそらく金山をもっていたため、滅ぼすより支配して金を献上させるほうが得策と判断されたのでしょう。内ヶ島氏が特殊技術をもっていたためでした。
未曾有の国難を上手く乗り切って生き残った内ヶ島氏は、伝説ではその日酒宴の真っ最中だったそうです。しかし、巨大地震が発生、背後の帰雲山が山崩れを起こします。2枚目の写真はその生々しい傷跡です。大量の土砂は一瞬にして城と城下町を飲み込みました。
数百億とも言われる黄金とともに埋没した帰雲城。場所はいまだ特定されていませんが誰か掘ってみませんか?莫大な財宝を手に入れることができるかもしれませんよ。ただし千体を越す人骨とともにですが…。私は恐ろしくてできません。