鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

伍子胥 - 復讐に捧げた生涯 - 前編

イメージ 1

 「呉越同舟」「臥薪嘗胆」などの故事で有名な春秋時代末期、長江下流域に栄えた呉と越。豊富な金属資源を背景に、急速に台頭し中原諸国の争いに加わりました。まず呉が春秋の強大国である楚を討って歴史に登場し、ついで南方の越が呉を下して、一時は覇者となるほどの勢いを持ちました。

 南方の蛮国とさげすまれた呉が、大国である楚を一時は滅ぼすほどの勢いになったのには、ある一人の男の復讐劇が関わっていました。その主人公である伍子胥(名は員)、激しい運命に弄ばれた一生でした。

 紀元前527年、楚の平王は太子建のために秦から公女を嫁に迎えることにしました。使者にたった費無忌は、公女のあまりにも美しい姿に呆然となります。しかし、まさか奪って逃げるわけにもいかず、悪巧みを考えます。「こんな美女を建のような小僧にやるのはもったいない。それよりもこれを利用して出世の種にしてやれ」
 こうして、いち早く平王の下に舞い戻った費無忌は王に進言します。
 「あれほど美しい公女は見たこともありません。太子には別の方を探すとして陛下が娶られてはいかがでしょうか?」
 奸臣の甘い言葉に動かされた平王は、嫁を息子から取り上げてしまいます。現代の我々から見るととんでもない話ですが、暗愚な平王は悪行を実行しました。費無忌はその功績により重用されます。

 面白くないのは太子建です。それを敏感に感じ取っていた費無忌は王に太子の悪口を讒言します。こうして王と太子は不仲になりました。王は讒言を信じ、太子を辺境の守備に追いやりました。
 それだけでは安心できない費無忌は、さらに太子が反乱を企んでいると王に告げ口しました。怒った王は、太子の守役である伍奢を呼び出して詰問します。
 剛直の士であった伍奢は、かえって王を諌めました。
「王はこのような奸臣の言を信じて、どうして太子を疑われるのです。このままでは国が滅びますぞ!」
しかし、暗愚な平王には通じませんでした。伍奢は牢にいれられます。
 さらに費無忌は、
「伍奢には優れた二人の息子がおります。偽って呼び出して親子ともども殺しておしまいなさい。」
と進言しました。
 平王は伍奢に言いました。
「お前の二人の息子を呼び寄せる事ができれば、命を助けよう」
 しかし、伍奢は冷然と言い放ちました。
「長男の尚は節義を重んじる人柄ですから、たとえ殺されると分かっていても孝のために参りましょう。しかし次男の員は生まれつき知略があり勇を好む人柄ですからけっして参りますまい。楚国は員のために苦しめられることとなるでしょう。」

 はたして王の使者を迎えた伍家では、弟伍員が兄に向かって言いました。
「兄上、これは罠ですぞ。いけば親子共々殺されてしまいます。」
「それは分かっている。しかしいかなければ父を見捨てた不孝者と蔑まれよう。私は行く。そなたは逃れて私たちの復讐をしてくれ。」
「わかりました。」今生の別れを告げると伍子胥(員)は弓を引き絞り、使者に向かって言いました。
「無実の父を罪に落としたばかりか、偽ってその子までも殺そうとする!なんと暗愚な王であろうか。私を捕まえることができるなら、やってみるがよい」
 あまりの伍子胥の勢いに使者は走って身を避けました。そのまま伍子胥は太子建が逃げていた鄭に亡命します。平王は伍奢と伍尚を殺しました。

 伍子胥は逃げる途中、親友の申包胥と出くわします。友の境遇に同情した申包胥はこれを見逃します。
 しかし、伍子胥が「いつの日か楚を滅ぼしてやる」と言ったのに対し、「それならば私は楚を復興してみせる」と答えました。

 伍子胥の復讐に捧げた生涯の始まりでした。

                              (つづく)