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大東亜戦争時、日本の野戦病院

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 非常にマニアックで申し訳ない。

 

 野戦病院とは陸軍師団に組み込まれた部隊です。戦場では戦死者も出れば戦傷者も出ます。重傷者は後方に搬送されて手術なり処置を施され入院し回復したら除隊したり再入隊したりします。ただ緊急を要する場合もあり、戦闘地域のすぐ後方である程度の処置をしなければ兵士が死んでしまいます。そこで野戦病院というものが師団に組み込まれました。

 

 日本の場合、野戦病院長は軍医中佐か軍医少佐。野戦病院の限界収容人数は200名程度。病院長の下に軍医、歯科医将校、薬剤将校、看護将校が付き、陸軍看護婦や日赤従軍看護婦ではなく衛生兵がその役目を担いました。それは戦場に近いため女性では危険だからです。

 

 通常3単位編制(主力の歩兵連隊が3個)の常備師団の場合3個の野戦病院中隊が設けられます。中佐や少佐が野戦病院長ですから大隊規模ですが、上の編制図をみると4個野戦病院中隊の他に、3個搬送中隊、1個防疫給水中隊が付いたようです。これは外国(アメリカ)の軍事専門サイトから持ってきたので、実際とは違うかもしれません。1個野戦病院中隊は300名前後みたいですね。

 

 アメリカ師団の資料が見つからなかったんですが、大東亜戦争日本兵の傷病死が多かったのは医療設備が整っていなかったからという論もあるくらいですから、もっと大規模だったのかもしれません。第2次世界大戦時の戦場医療に関する専門書を見つけているんですがなかなか良さそうな本がなく、あくまでネット上で集めた薄い情報です。ですから今後資料を集めていく過程で情報修正が入るかもしれません。