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アッシリア伝説の女王セミラミス

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 最初に私事から。私は歴史全般が好きですが特に中央アジアの歴史には興味があります。昔から気になっていた『バクトリア王国の興亡』(前田耕作著)という本も、アマゾンの古本ですら6000円を超える高額な書籍で買えませんでした。ところが今回ちくま学芸文庫から出ると知って狂喜し予約注文して先日到着しました。現在じっくり読んでいる最中ですが、あまりの嬉しさに本書の冒頭に載っていたエピソードを記します。

 

 ここに一つの伝説があります。ギリシャの歴史家ディオドロスが記した歴史文庫の一節ですが、史上初の世界帝国を築いたアッシリアのニノス王がバクトリアを攻めたときの事。バクトリアというのは現在のアフガニスタン、ヒンズークシ山脈より北。アラル海にそそぐアムダリア(古代ギリシャ人はオクサス河と呼んだ)とシルダリアの両大河に囲まれた地域トランスオクシアナ地方(支那史書では河間地方と呼ぶ)まで含めた地域の呼び名です。別名大夏あるいはトハリスタンとも言います。

 

 強大なアッシリア軍を率いたニノス王は、苦戦しながらもバクトリアを攻略、美女セミラミスを得ました。ディオドロスの歴史文庫ではセミラミスの出自について別の話を載せており、シリアのアシュケロン近くに捨てられた孤児だったとも言われます。羊飼いに拾われ育てられた彼女は、成長するにつれ美貌が際立ってきました。アッシリアのシリア総督オンネスの目に留まり妻となります。二人の子宝に恵まれるも、夫オンネスはニノス王のバクトリア遠征に従軍。敵の首都バクトラ包囲が長引くとオンネスは妻が恋しくなり陣中に呼び寄せました。

 

 ところが陣中でセミラミスに出会ったニノス王は彼女の美貌の虜となりました。王はオンネスに彼女と離婚し側室として差し出すよう命じます。代わりにオンネスへは自分の娘ソサネスを妻に与えると申し出るほどの入れ込みようでした。妻への愛と王への忠義の板挟みになったオンネスは悩みぬいた末自害します。セミラミスの心境は複雑だったでしょうが、王命に逆らえるはずもなく妻となりました。側室ではなく正室らしいので、ニノス王は彼女にぞっこんだったのでしょう。二人の間には王子二ニュアスが生まれました。

 

 ニノス王は、その後まもなく亡くなります。ここまでくると支那伝説の妖女夏姫を連想しますよね。男を破滅させる悪女だったのかもしれません。王が亡くなると幼い二ニュアスには統治できませんので、セミラミスが女王としてアッシリア王国を治めました。彼女はバビロンを都に定め帝国の首都として整備します。有名な空中庭園も彼女が作ったと言われます。メディア(現在のイラン)の旧都エクバタナとの間にセミラミスの道と呼ばれる公道を整備し、各地に灌漑を施すなど大きな功績をあげ『セミラミスの鴻業』と称えられたそうです。インド遠征だけは失敗したようですが、統治すること42年、息子二ニュアスに王位を譲って62年の生涯を終えたと言われます。

 

 

 以上の話は残念がら史実ではありません。まずアッシリアは世界帝国となる前の雌伏の時期が長く紀元前2500年から始まる歴史の長い王国でした。アッシリアの王統表というのも残っておりニノス王なる人物はそのどこにも載っていません。一応時期を考えると第102代シャムシアダド5世(在位紀元前823年~紀元前811年)に比定されます。セミラミスのモデルも王妃サンムラマトではないかと言われます。サンムラマトは夫の死後息子アダドニラリ3世の摂政を務めたそうですからセミラミスの生涯と似てなくもありません。

 

 ただアッシリア王統表ではシャムシアダト5世(102代)とアダドニラリ3世(104代)の間にシャミラム王(103代)という名が刻まれています。これを何と解釈するのか?謎です。ちなみに、バクトリア遠征も現実的にはあり得ません。というのはアッシリアバクトリアとの間にはメディア王国があって当時はアッシリアに服属していなかったはずなのです。というよりメディアはイラン系の遊牧騎馬民族なのでアッシリアの強力な敵でした。

 

 バビロンに首都を移したという話も嘘。バビロンを含むメソポタミア地方(現在のイラク南部)はアッシリアの重要な領土ではありましたが、アッシリアの首都は初期のアッシュールから後期のニネヴェ(現在のモスル)に至るまで一貫してイラク北部のアッシリア本土にありました。おそらくギリシャ人のディオドロスは伝聞でしか知りえなかったので、伝説を史実と思い込み書いたのでしょう。ギリシャ人にとってバクトリアは夢の土地であり憧れがあったのかもしれません。