バクトリア(紀元前255年頃 - 紀元前139年頃)とは、現在のアフガニスタン北部バクトラを中心としたアレクサンドロス大王の後継者が建てたギリシア人王国で、代表的なヘレニズム国家の一つ。バクトリア王国は王統交替・勢力盛衰が頻繁で、王権が弱く、地方の王が権力を持ち、しばしば国家が分裂した。
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皆さんはバクトリアという国のことをご存知でしょうか?世界史を習いたての学生さんはピンとくるかもしれませんが、卒業して何十年と経ってる一般の方はすっかり忘れてしまっているでしょう。
私はこのバクトリアという国が最近気になっています。
いわゆるヘレニズム諸国の一つで、セレウコス朝シリアの辺境の太守が建国した国です。その版図は今のアフガニスタンからタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンにかけて。
このような遠い中央アジアにありながら、ギリシャ人が支配層を形成し、ギリシャ語が公用語になるというユニークな国家でした。ちょうど契丹人の建国した西遼(カラキタイ)と形態が似ていますね。西洋と東洋の違いはありますが。
建国者のディオドトスがどのような人物だったかも気になります。純粋なギリシャ人だったかそれともギリシャと現地人の混血だったか?
ディオドトスは「千の都市の総督」(ラテン語で"Theodotus, mille urbium Bactrianarum praefectus")と呼ばれていており、王国は東方随一の富を誇っていたそうですからその繁栄ぶりがしのばれます。
しかし、民族国家ではなく異民族の支配王朝だったため現地に根づくことができず、王権は常に不安定だったそうです。
その滅亡も何が何だか分からないうちに訪れます。まず中央アジアの部分が北方騎馬民族のトハラ族に奪われ、残ったアフガン以南の部分も現地の部族であったクシャン族に滅ぼされました。大体1世紀こののことです。
その前に、バクトリアの領域はゴビ砂漠を越えて東方からやってきた大月氏国の侵入を許し王国は有名無実の存在となっていたそうですから、その意味ではいつ滅びたのかはっきりしません。
ちなみにクシャン族の建てた王朝こそ、仏教を保護したカニシカ王で有名なクシャーナ朝です。
しかし、国は滅びてもギリシャ人たちはこの地に住み続けガンダーラ仏教美術などにも大きな影響を与えています。その美術品が流れ流れて日本の奈良正倉院にあるのですから、なんだか歴史のロマンを感じますね。