鳳山雑記帳はてなブログ

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邵康節と『梅花心易』

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 宋代中期、邵康節という学者がいました。当時の士大夫階級のたしなみとして命数(いわゆる占いのこと)に通じていたのですが、彼は特に『梅花心易』の創始者として有名です。

 ところで、易とは儒教のおける四書五経の一つ易経のことですが、人の世の移り変わりを説く本書は、占いの書としても使われました。筮竹を使用して占う易は周易と呼ばれる方法です。古代中国、周の文王・姫昌が創始したといわれています。そのほか夏・商の易である連山・帰蔵と呼ばれる易は風水のもととなったそうです。

 そのほか、易の種類には吉凶がはっきり分かる五行易(断易)、そしてこれから紹介する梅花心易があります。邵康節がこの占いと出会ったきっかけは不思議なエピソードでした。
 ある日、ネズミがうるさいので邵康節は手元にあった陶器製の枕を投げつけます。枕はネズミには当たらず粉々に砕けました。その破片を何気なし見ていると「この枕は○年○月○日、ネズミによって砕く」と書かれていました。
 不思議に思った邵康節が枕工房を訪ねると、「ああ、それならいつも見学に来ていた老人の仕業だろう」と言われ、紹介された家を訪ねます。
 しかし、老人はすでに亡くなっていました。ところが老人の家族から本を受け取ります。老人の遺言で「○年○月○日、邵という賢者が訪ねてくるのでこの書物を渡すように」と言われていたそうです。
 あまりの不思議さに邵康節は託された本を夢中になって読みふけります。そして研究を重ね完成したのが梅花心易でした。

 梅花心易とは筮竹を使わずに、自然の中の現象から数を採り易卦を立てるという手法で、達人となればいながらにして予言ができるという恐るべき占いです。
 名前の由来はこういうエピソードからです。ある日邵康節が、「この三日間の間に当家の庭の梅の木に登って少女が怪我をするから、けっして叱らないように」と使用人に言い渡しました。三日目の朝、隣に住む少女が梅の花を採ろうと木に登っていたところ、康節の言いつけを聞いていなかった使用人が叱りつけ、驚いた少女が落ちて怪我をしたところから梅花心易と名付けられました。

 そのほか色々なエピソードがあるのですが、一つ紹介すると邵康節が知り合いの老人に会ったところいつもの生気がなかったので、不思議に思い占いました。そして「この五日間、魚にまつわる事は避けてください。そうしないと禍が起こります。」と予言しました。
 老人は、康節を尊敬していたので言いつけを守り、大好きな魚釣りも止めていました。しかし5日目、婚礼の祝いの魚をどうしても食べなくてはならなくなり、その魚の骨を喉に詰まらせて死んでしまいました。
 あと、時ならぬ時期はやい燕をみて、南方から時代を動かす人が出現すると予言したり、(これは王安石の登場の予言ですが)数々のエピソードがあります。

 おそるべき予言ですが、一朝一夕にはできません。基礎として周易の素養がなければ易卦を立てても解釈の仕様がありません。しかし、この占いに熟達すると世の中に怖いものがなくなります。私も興味があって本を読んだりしているのですが、完成するには程遠い状態です(笑)。