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西洋占星術の凄み 『ウィリアム・リリーとホラリー占星術』

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 皆さん、自分の運命、周囲の運命、国家の運命が分かったらどんなにすごいことでしょう。古代の人々は、占いを通してそれを知ろうとしました。
 東洋でも、七政(星)四余、太乙神数、皇極神数など究極と言える占術(もはや運命学と言ってよいかもしれませんが)が誕生しました。
 西洋においては、古代ユダヤの秘儀「カバラ」や古代メソポタミアで発祥した占星術がその役目をにないました。占星術、いまでは星占いとしてすっかり有名ですが、あれはほんの初歩にすぎません。占星術を極めると人の人生はもちろん、国家の命運さえ分かるといいますから驚きです。

 ここにホラリー占星術という技法があります。通常占星術は、誕生時の星の位置をホロスコープに書き込み、そこから読み解いていくのが一般的ですが、これは占う時の星の配置によってホロスコープを作成し判断するという技法です。東洋でいう「易」に近いと思ってください。しかも判断に熟練を要する易とは違って、ホロスコープさえ作ってしまえば容易に具体的回答を得られるといいます。
 古代から連綿と続くホラリー占星術を完成させ、予言をことごとく当て、安楽の一生を送った人物がいます。前置きが長くなりましたが、近代占星術の完成者の一人と言ってよいウィリアム・リリーの生涯、ここにご紹介しようと思います。

 ウィリアム・リリーは1602年、イングランド、レスター市の貧しい小作農の子として生まれました。聖職者を志しますが経済的理由で断念、ロンドンに出てライト氏という塩商人の秘書となります。
 ここで運命の出会いがありました。ライト氏の妻は熱心な占星術の信奉者でした。彼女によってリリーは占星術の手ほどきを受けます。
 ところが、この妻が死に、ライト氏は若い後妻を迎えました。さらにライト氏自身も死去し後妻が財産を相続する事となったのです。運命の悪戯からリリーは、この後妻と恋に落ちます。そして彼女と結婚することによりライト氏の莫大な遺産を相続することとなりました。

 リリーは、この幸運を占星術の研究の向上に充てました。古今の占星術書を買い漁り知識を吸収していきます。1633年、この妻が死去するとリリーはライト氏の会社を売却、占星術師として独立しました。最初は中産階級の女性がお客でした。しかしよく当たると評判を呼び国会議員や貴族の顧客がつきます。そのため名声がますます上がりました。

 ところで、西洋史に詳しい方ならご存知と思いますが時はピューリタン革命の真っ最中でした。リリーの顧客には王党派も議会派もいました。彼は占って議会派有利と読みます。歴史はその通りに動きました。王党派を破った議会派の領袖、クロムウェルによる独裁が始まります。
 しかし、リリーは議会派の天下も長く続かないと読みます。リリーは、その性格もあったでしょうが、かって顧客だった王党派分子を秘かに匿ったりします。
 そして、予言はまたしても当たり、王政復古が成りました。りりーは議会派に近かったため、議会派の協力者として逮捕されました。ところが、リリーに匿われて恩義を感じていた者たちの尽力で、無罪放免になります。ここでも危機を脱しました。

 さらに占いによりロンドンの大火を予言、サリー州の田舎に居を移し難をのがれます。驚くべき処世術です。ホラリー占星術と、国家の命運を占うマンデン占星術に精通していたからこその芸当でした。
 サリー州の田舎でも現役を続け、1681年に死去するまでライフワークとも言うべき「占星歴」を執筆し続けました。これは安価で提供され、当時としては驚異的な一万数千部というベストセラーになります。
 また彼の著である「キリスト教占星術」は、近代占星術の土台の一つになります。激動の時代に、占星術によって危機を克服し、天寿を全うした稀有の人でした。