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世界史英雄列伝(25) マンネルへイムと冬戦争(ソ芬戦争) - 後編 -

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 スターリンの露骨な侵略である「冬戦争」は、世界中から同情を寄せられました。アメリカは、「余剰」という名目でしたが、旧式の「ブリュースターF2Aバッファロー」戦闘機を44機援助します。その他各国から武器・資金の援助がありましたが、本格的な介入は、ソ連との決定的な対立をもたらすということで見送られます。

 自分たちだけで戦う覚悟を固めたマンネルへイムは、敵を本国深く誘い込んで補給路を叩く作戦を取りました。極寒の中、スキーを装備したフィンランド軍はソ連軍の正面を避け、補給路を徹底的に攻撃します。「モッティ戦術」という、待ち伏せ、包囲作戦でソ連軍を翻弄しました。
 一方、ソ連側は、この戦争が短期で決着すると甘く見ていました。ろくな冬季装備をしていなかったので補給路をズタズタにされると、被害を拡大させました。空中でも、数は少なくとも精強なフィンランド空軍のバッファローは、ソ連軍のポリカルコフI15、I16戦闘機を圧倒、何人ものエースパイロットが誕生しました。バッファロー戦闘機は「空の真珠」と称えられました。
 第2次世界大戦では、日本のゼロ戦、隼に完敗し評価の低いバッファローですが、ここではまるで別の戦闘機のように大活躍しました。

 国際的にも同情を集め9000人もの義勇兵がこの戦争に参加します。ヘルシンキにいた外国の特派員は、「雪中の奇跡」として、この善戦を報じました。
 北部、中部戦線はゲリラ戦に苦しみ、南部のマンネルへイム要塞線はびくともしませんでした。こうなるとあわてだしたのはスターリンでした。簡単に決着すると安易な気持ちで始めた侵略戦争が思わぬ苦戦で、国際的な威信が失墜しようとしていたのです。
 総司令官を更迭したスターリンは、犠牲をいとわない攻撃でカレリア地峡の突破を命じます。こうなると数に圧倒的な差があり激戦の末、要塞線は突破されました。
 
 マンネルへイムは、このままでは国家そのものが滅ぶと危惧し、屈服の道を選びます。
 講和条件は過酷なものでした。フィンランド第2の都市ヴィープリを含む全カレリア地峡の割譲、巨額の賠償金を支払ってフィンランドソ連の影響圏下に置かれます。
 第2次世界大戦中には、ドイツと組んで奪われた領土を奪回しようとしますが、敗戦により断念。しかしかろうじて独立を保ちえたのは、大統領であるマンネルへイムの手腕でした。

 フィンランドは小国ですが、いまも世界中に一目置かれています。それは冬戦争での誇り高き善戦によるものです。独立国としての矜持、それは同じ敗戦国となって、土下座外交を繰り返し世界から嘲笑の的と成り下がったある国とは大違いです。

 今からでも遅くありません。国としての誇りを取り戻す事こそ、日本の急務なのではないでしょうか?私鳳山は、フィンランドの国と国民を羨ましく思います。救国の英雄、マンネルへイムを持った事を!

最後にマンネルへイムの言葉で締めくくります。
「自らを守りえない小国を援助する国はない。あるとすれば、何か野心があるはずだ。」