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世界史英雄列伝(25) マンネルへイムと冬戦争(ソ芬戦争) - 前編 -

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カール・グスタフ・エミール・フォン・マンネルへイム  
1867年~1951年。フィンランドの軍人・政治家。国家元首、大統領(在位1944年~1946年)

 皆さん、フィンランドと聞いてなにを連想しますか?森と湖の国、平和な国。そのあたりでしょうか?しかし、この国の歩んできた苦難の歴史を知る人は多くありません。古代、欧州を席巻したフン族の末裔が建てた国であることから名付けられたフィンランド。彼らはスオミと自称しています。
 この誇り高い遊牧民の建てた国は、まずスウェーデン、ついでロシアという周辺の強国に支配され続けました。ロシア革命によってようやく独立を勝ち取った彼らですが、ソ連の露骨な侵略を経験します。
 1939年11月30日、ソ連軍は突如として、フィンランド国境を越えます。スターリンが、バルト海周辺各国に「防衛をしてやるから、軍を駐屯させろ」という要求をし、さらにフィンランドに対しては、レニングラードに近い、カレリア地峡にある要塞マンネルヘイム線の非武装化を求めました。当然、こんな理不尽な要求は拒否されます。
 すると、スターリンフィンランド共産主義者フィンランド民共和国政府を設立させ、人民をまもるためという、とんでもない屁理屈で侵略を正当化しようとします。
 露骨な侵略行為は世界中から非難されました。1939年12月4日には、国際連盟から追放されました。脱退ではなく追放です!いかに理不尽な侵略だったか、これで証明されるでしょう。

 23個師団45万の大軍が、北部・中部・南部の三方からフィンランドに攻め込みました。守るフィンランド軍は三分の一の16万。戦いはあっというまに決着がつくかと思われました。
 しかし、フィンランド軍総司令官マンネルへイム元帥の指揮の下、信じられない粘りをみせます。

 カール・グスタフ・エミール・フォン・マンネルへイム、いったいどのような人物だったのでしょうか?実は彼はフィンランド出身のロシア帝国の将軍でした。日露戦争にも騎兵指揮官として従軍しています。このとき近代化された軍隊である日本軍に強い興味を抱いたといわれています。
 祖国が、ロシア革命に乗じ独立しようとした時、独立派の指導者として祖国に帰国します。共産主義者を祖国から駆逐しついにフィンランドは独立に成功しました。
 マンネルへイムは常に白い毛皮を身にまとっていたため、味方からは「白い将軍」敵からは「白い悪魔」と怖れられたそうです。
 
 マンネルへイムはどのようにして、祖国を防衛したのでしょうか?後編では具体的な戦争の経過とその後を見ていきましょう。