

戦国ファンなら既に御存じだと思いますが、一般の方は御存じないかもしれませんね。
誾千代姫は、お父さんが強烈な人(苦笑)だけに気が強く男勝りの人だったようです。そのために夫宗茂との折り合いは必ずしも良くなかったみたいです。
彼女の生涯とかエピソードはウィキでもご覧いただくとして、何故私がこの記事を書いたのかというと、先日地元新聞で立花誾千代のお墓と伝えられているものが地元の人の世話で大切に保存されているというニュースを見たからなんです。
しかも場所は我が家の近所熊本県長洲町(家から5kmくらい)。恥ずかしながら歴史好きの私も知りませんでした。
これも歴史に詳しい方は御存じでしょうが、関ヶ原で西軍についた立花家は一度お取り潰しに遭っています。路頭に迷う事になった立花主従を親交のあった肥後の加藤清正が保護し、夫宗茂を高瀬(現・玉名市)、誾千代は腹赤村(現長洲町東南部)に住まわせたそうなんです。
一方正室誾千代は、腹赤村に隠棲して二年後病を得て死去しました。享年34歳。亡骸は荼毘に付され同地に葬られます。
ただ彼女の魂は、ここ長洲町腹赤の地に留まっているような気がします。というのは柳川の地はあまりお好きじゃなかったような感じなんです(苦笑)。弔うなら立花山城のあった福岡の地か生まれ故郷の筑後国山本郡の問本(といもと)城(久留米市草野町)を望んでいたのでは?と勝手に想像してしまいます。
ということで、長洲町のやつはお墓というより供養塔なんですが、本日小雨の中お参りに行ってきました。前日夢を見たので呼ばれていたのでしょう。さっきも糖尿病注射の副作用の低血糖で1時間ほど仮眠してたんですがなんとその時見たのがまたお墓に行く夢だったんです!
これは何度もお参りに行かなければなりませんね♪先祖が柳川藩士でしかも近くに住んでいる癖に、お参りもしないときっと怒ってらっしゃたのでしょう(苦笑)。
ちなみに、墓石の頂上がぼた餅に似ていることから、地元では「ぼたもちさん」とよばれているとか。