幕末維新期、近代的洋式装備の象徴としてこの時代を描いた小説やドラマで必ず紹介されるアームストロング砲。
錬鉄製の砲身内部にライフリングを施し近代的閉鎖装置によって後装式発射を実現し、たしかに一時代を築いた大砲でした。
1858年イギリスで制式化され、薩英戦争でその威力を味わった日本人が争って求めたことでも有名です。が、輸出禁止の時期で幕府は入手できず、その後西国雄藩が手に入れ戊辰戦争の勝利につながりました。
アームストロング砲は、欧州の同時期の後装砲と比べても軽量で扱いやすい大砲でしたが、そのために構造上脆弱で砲身寿命が短いなどの欠点がありました。発射ガスで尾栓が破裂しやすかったともいわれます。
このため、イギリスではあまり使用されずすぐに改良した大砲が作られましたが幕末日本では最新鋭の大砲だった(というよりこれしかなかった)ために諸藩が争って求めたようです。
イギリス製だけに、英国商人グラバーが一手に引き受け英国は薩長を応援していたため幕府方は手に入れる事が困難だったのでしょう。
日本に持ち込まれたアームストロング砲は、12ポンド、9ポンド、6ポンドの三種。大型の物は艦載砲でしょうから野戦で使用されたのは6ポンド砲だけだったように思います。佐賀藩がコピーしたのも9ポンドと6ポンド。上野戦争では6ポンド砲が使用されました。
では6ポンド砲の実態を見てみましょう。6ポンドというのは砲弾の重さで分かりやすくするために口径で表すと約64㎜。大したことありませんね。(野砲の標準は75㎜になりつつあった)同時期に広く使用されたフランス製12ポンド榴弾砲(前装式)のほうが当たれば威力は高そうです。
ただ後装砲だけに、発射速度は6倍から10倍早かったでしょう。射程もアームストロング砲が3600mに対し12ポンド榴弾砲は1500m。初速も速いでしょうから貫徹力はアームストロング砲のほうが高いでしょう。近距離では弾道が直進して木造の城門などは一発で破壊できたかもしれません。
アームストロング砲の強みは、砲弾の威力より長射程と発射速度の速さ。これによって時間当たりの砲弾投射量で前装砲を圧倒できたのでしょう。
結論としては、伝説で言われるほどの威力は無かったがそれなりの効果(それもかなり有用な)はあったというところでしょうか。