鳳山雑記帳はてなブログ

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おそるべし歩兵第12師団(小倉)!!!

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 誰も付いてこれない帝国陸軍部隊編制シリーズ!(爆)画像は自作の1937年当時の帝国陸軍歩兵第12師団の編制図です。
 
 軍事に詳しい方なら驚かれると思いますが、恐るべき戦闘能力です。私も調べていてびっくりしました。
 
 通常は1個師団に1個砲兵連隊(野砲兵OR山砲兵)が普通ですが、12師団はなんと砲兵旅団を持っています。砲兵戦力は5個連隊!!!しかも4単位編制(2個歩兵旅団=4個歩兵連隊)なので、おそらく野砲兵24連隊は野砲48門定数、独立山砲兵3連隊も山砲48門定数のはず。
 
 砲兵旅団隷下の二つの重砲兵連隊もおそらく八九式十五糎カノンか四式あるいは九六式十五糎榴弾砲を24門ずつ装備しているはず。別口の下関重砲兵も重砲24門でしょう。
 
 
 合計すると野砲48門、山砲48門、重砲72門という師団どころか軍レベルの重厚な砲兵火力を持っています。
 
 しかも驚くのは、それ以外に戦車連隊、飛行連隊、高射砲連隊まで持っているのです。
 
 
 貧乏なイメージの帝国陸軍なのに、なぜこれほど贅沢な装備なのでしょうか?おそらく総兵力は三万人近くになるはず。欧米でいえば軍団レベルの大兵力です。
 
 
 どうも第1次上海事変に派遣され、その後満州駐屯に回された事と関係していそうです。
 
 上海事変では、12師団隷下の歩兵第24旅団を中心に混成第24旅団が編成されたため、その時支援部隊として重砲兵連隊がつけられ、さらに満州で対ソ戦に備えるため重厚な装備のまま残されたのでしょう。
 
 
 しかし、さすがにこのまま大部隊を維持できるはずもなく戦局の悪化とともに隷下部隊が次々と引き抜かれ終戦間近には普通の三単位編制師団になっていたのでした(号泣)。
 
 
 1937年当時の最大戦力のままソ連満州侵攻に備えてほしかった!!!この戦力ならソ連軍にひと泡吹かせられたはず。また、12師団は台湾に派遣されて終戦を迎えましたが、この戦力のまま沖縄に持って行ってたら米軍をさらに苦しめられたはずです。う~ん惜しい!!!