鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

幻の堀口城を探して   (その2) 完結編?

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 おそらく誰も読まないとは思いますが(笑)、清水山現地調査に行ってきました。

 清水寺は福岡県みやま市にある古刹で
『9世紀に唐から帰朝した伝教大師最澄)が清水山に立ち上がる霊気を感じてここに寺を開いたという。
参道を登るとりっぱな山門があり入母屋2層の姿がこの寺の格式の高さを現している。本殿の右上には三重塔があり、もともとは天保7年(1836)に建立されたもので(昭和41年に全面補修され新しくなった)全体にずんぐりしたボリュウム感のある造りになっている。
参道途中には九州でも数ヶ所しかない名勝と言われている本坊庭園がある。』(観光案内より)
というところですが、その寺がある山が清水山です。


 私の推理で、糸田貞義が籠もった堀口城は三池郡内(含む近隣)だとすればここしかないと結論した場所でして現地に行った次第です。

まず私が確認したかったのは
/千の軍勢が籠もれる規模がある山容なのか?
≫鴇訐錣悩任盻斗廚平紊亮蠅呂△襪里?
という二つでした。


,亡悗靴討蓮国道209号線をみやま市瀬高町に入って右手に山容が見え始めたころから、その資格十分と見て取れました。私ならあそこに郭をつくって、あそこに兵を置いて…とか楽しく想像しながら山道を登りました。

△一番重要なんですが、これは山の中腹にある清水寺にその名の通り滾々と湧き出る清水があり、その役割を十分に果たしたのではないかと。


 せっかく来たので、一通り清水寺観光をすませて早速山に登ります。昔来たときに記憶のあった山城跡の案内板はありませんでした。やっぱり私の記憶違いかなあ?

 登山口は清水寺右奥の三重塔からさらに階段を登りきった先にありました。登山口近辺には不自然な削平地があったのですが、山城の郭か、清水寺の寺域か判別不能でした。昔はかなりの規模をもっていたみたいなので寺域の可能性が高いと思います。


 山を登っていくと、道幅はだんだん狭くなっていきます。途中削平地がいくつもあり、ツヅラ折れの要所要所には踊り場がありました。一部には石段のようなものもあります。これは私がかって訪れた熊本県南関町の大津山城玉名市荒尾市にまたがる小岱山の筒ヶ嶽城に共通する特徴でした。

 しかも、道は両側より低くなるように削られています。踊り場部分から横矢を射かけられると防ぎようがありません。

 これは山城の可能性が高くなったぞ!私は慣れない運動で青息吐息ながらもどんどん上に上り続けます。ところが8合目(たぶん、木が茂っていて確認できず)くらいから普通の山道になっていきました。山頂(たぶん、それより先に道が無かったので)も狭くて本丸というより物見台くらいしか置けない広さでした。

 もし清水山が山城だとすると、8合目くらいが主郭ではなかったかと考えました。結論としては限りなく黒に近い灰色。山城だと断定するには証拠不十分ですが、糸田貞義が筑後勢を引き連れて建武新政権の大軍と戦うには絶好の条件を持っていたと推定できます。


 一応、堀口城探求シリーズはこれで終了ですが、機会があったら熊本県小国地方での籠城の可能性について探索したいと思います。