江田船山古墳(えたふなやまこふん)は、熊本県玉名郡菊水町(現和水町)に所在する清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、75文字を銀象嵌(ぎんぞうがん)で記した大刀が出土したことで有名な前方後円墳である。
この古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62メートルあり、盾形の周濠をもつ。古墳からは、豊富な副葬品が出土している。
古墳の周りには、短甲(上半身を守るよろい)を着けた武人の石人が配置されている。このような古墳の周りに石人・石馬を配置するという独特の型式は、石人山古墳(筑後市、130メートル)に始まり、6世紀前葉の岩戸山古墳(八女市、132メートル)で最盛期を迎え、以後、消滅する。この岩戸山古墳が527~8年にヤマト政権(継体朝)と闘って敗北した筑紫君磐井の墓である。江田船山古墳も筑紫君一族の配下に連なって地域の中首長の墓であったことが想像できる。
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久々に友達が遊びに来ました。本日は天気もよくドライブでもするか、ということで近くの和水(なごみ)町にある江田船山古墳を見に行く事にしました。
いままで仕事が忙しく盆正月もないような感じでしたが、やっと人並みに休めます。人間休むべきときは休む、これが重要です。だって過労死したら馬鹿馬鹿しいですもの。
江田船山古墳は教科書にも載っているくらいで地元ではとても有名な古墳なのですが、なにしろ最後に訪れたのが十年以上前だったので実際現地に行ってみると驚きました。
私の記憶では小さな小山がポツンとあって他は何もないところだと思っていたんですが、なんと周囲に空堀があってなかなか大きなものでした。おそらく最近になって発掘されたのでしょう。復元された全体像を見てみるとかなりの大きさです。
中の玄室も復元されていて入れるのですが、私は入りませんでした。と言いますのも、鹿央町(山鹿市に合併)にある岩原古墳群での苦い思い出があるからです。
岩原にも内部を復元してある古墳があるのですが、鉄の扉を開けて一人で中に入った瞬間、風の力か超自然現象か知りませんが、扉がバタンと閉まったのです。もちろん照明はありませんから、冷やりとした漆黒の暗闇が私を包み込みます。
このときばかりは、恥も外聞も無く「ぎゃ~!!!!」と叫びながら慌てて出口のほうに走っていきました。だってそのままミイラになりそうだったんですもん。周りに人がいなくて良かった。とんだ恥さらしでした。
他の観光客や友達は平気で中に入って行きます。私は外でガタガタ震えながら待っていました(爆)。
それはともかく、久々に訪れて雄大な景色を見られたので満足した一日でした!