ただ今回の建造物群の発見で複合宗教施設であった事はほぼ間違いないと思います。埋葬塚まであったとなると南米のシカン文明やクントゥル・ワシ遺跡に代表されるようなイドロ期クントゥル・ワシ期の文化に近い遺跡だったような気がします。やはり古代人の考えは似てくるんでしょうね。
長さ33メートルの古墳が見つかったとなると、当時イギリスにすでに王権が存在していた可能性がありますね。祭政一致の神権政治だったのでしょう。オリエントでも最初に登場した王権は神権政治なので世界史ファン、古代史ファンとしては興味深いです。古墳の中に巨大な木造建築、わくわくしますね(笑)。
私の興味は、これがイギリス独特の文化だったのかそれとも欧州全体に広がるケルト(ガリア)人全体の文化だったかです。レイラインや欧州各地に分布する巨石遺跡、マウントも関連があるかもしれませんね。さらなる調査が進み全貌が解明される事を希望します。もしかしたら世界史の記述が変わるかも?