鳳山雑記帳はてなブログ

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顰に倣う(ひそみにならう)

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 老荘思想というのがありますが、春秋時代末期に生きた老子が自分の思想をストイックに追求する人だったのに対し、戦国時代中期の荘子(荘周)は巧みな比喩を用いて己が思想を人に説明するのが得意だったようです。

 で、この話も荘子の一節にあります。
【西施には胸が痛む持病があったという。ある日、その発作が起きた。彼女が胸元を押さえ、顰(眉間)にしわを寄せた姿にはなんともなまめかしく、か弱い女性の美しさがにじみ出ていた。彼女が里から歩いて来るその様に、里の人たちは皆目が釘付けになった。 ある里に一人の醜い女がいた。この日、西施が胸元を押さえ、眉をひそめた様子にたくさんの人が釘付けになっているのを見た女は、西施のまねをして、胸元を押さえ、眉をひそめて、村を行ったり来たりした。この醜い女が大げさにふるまうとただでさえ醜い顔がもっとひどくなった。そのため、この女の奇怪な様を見ると里の人々は、すぐに戸を閉め、貧乏人は妻や子を連れて遠くに逃げるといった具合であった。 このことが顰に倣う(ひそみにならう)、むやみに人のまねをするのは愚かなことという故事になった。】出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 ※補足すると、西施は春秋時代末期、呉越の戦いにでてくる中国を代表する美女。


 事実かどうかは怪しいものです。荘子得意の煙に巻く系の話でしょうが情景が想像できて笑いがこみ上げてきます。ただでさえ醜いのに顰に倣ったらいったいどんな顔になるのか?恐ろしや~(爆)

 こういう話を載せるあたり、荘子はよほどユニークな人物だったみたいです(笑)